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今週の「ちょっとイイ譚・ウマイ譚」(2022年2月6日~2月12日)

●われわれの小中学生時代も当然ながらインフルエンザによる学級閉鎖はあった。検査キットが無い時代だからすべて「みなし」・・・・・・どころか「自己診断」であった。病院には行かずにひたすら熱が下がるのを寝て待った。薬は越中富山の”まんきんたん”の置き薬の「ケロリン」のみ。ケロリンとはアスピリンの商品名で粉薬であった。それにゴム製の水枕も活躍した。冷蔵庫がなかったので氷は無かったが、冬の裏山の湧き水は十分に冷たかった。それが私の体験した昭和のインフルエンザである。
▲周知のようにいわゆる風邪には150種も200種ものウイルスが原因するから、発熱があってもインフルエンザでないことも新型コロナでないことも少なくない。むしろそうでないことの方が多いから新型コロナの陽性率が低い。
▲今も昔も風邪は栄養を摂らなければ治りが遅いことに変わりはないだろう。昭和にタミフルはなかったから、ひたすら寝るか無理して食事を摂るしかなかった。熱が出ると何も欲しくないのは今も昔も同じだ。そういう時の非常時に食うことができたのが、私の田舎の保存食である「切り餅」である。私の田舎の切り餅は、全国的には「欠き餅」というようだ。
▲全国的(一般的)な切り餅は「欠き餅」よりも四角で大きい。身近では「新潟(あるいは魚沼)県産○○○○の切り餅」がそうである。その四角である切り餅をさらに小さく短冊様に切り出したのが「欠き餅」となる。
▲私の「切り餅」(=「欠き餅」)は、備長炭の「七輪」で網焼きして熱い日本茶を注ぎ、それに専売公社の粗塩を一つまみ加える。「切り餅」がほんわりと蕩け出したころを見計らって口に運ぶ。この栄養食は水分と塩分を摂取することにも貢献したのであろう。
▲そしておふくろがこっそり作ってくれたのが「卵焼酎」。「卵焼酎」は今では幻となった甲類焼酎の「巴」を弱火でアルコールの沸点ぎりぎりまで温め、溶いた全卵をいれて「スクランブル」するものだ。今の私の吞み助はひょっとしたらこの時から始まったのかもしれない。
※エタノールの沸点は約78.3℃。
▲おまけだが、喉の痛みには「焼酎湿布」もやった。薄手の日本手ぬぐいに焼酎を含ませて首回りに巻く。ひんやりとして心地よいが、その効果は馬鹿にできないほどに効く。作用機序(効能)は、アルコールにより喉の周りの毛細血管が拡張し、血行がよくなることで喉の痛みが緩和されるのだそうな。
2月10日。

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