“銀座の典座”こと・近藤文夫(「てんぷら近藤」の店主)が「山の上」で天麩羅を揚げていたころ、客の作家・池波正太郎は揚がりたてを間髪容れずに食するため、箸を持ったままその瞬間を待った。「天麩羅は揚げ物であるから熱いうちに食べねばならない。」と。
この季節、天麩羅の種になるものは実に多い。車海老、鱚(キス=海のアユ)、穴子、鯒(コチ)、鮑(アワビ)、稚鮎、空豆、タラの芽、一冬越したさつまいも(丸揚げがオススメ)など枚挙に労しない。お茶の葉だって立派な種だ。
天麩羅は、薄力粉と全卵、水、油があれば誰でも簡単に出来ると思いきや、中々奥が深い。例えばソラマメを数個、かき揚げ風に仕上げるのには相当の下積みが必要なことを、一度自分で試してみると分かる。素材が7割という天麩羅も、残りの3割が達人の極みだ。
小生はもっぱら居酒屋嗜好のため、揚げたての天麩羅を、近藤文夫と池波正太郎張りに食することが出来る店を殆ど知らないが、一軒、それに近い形で提供してくれる店がある。
屋号の粋な文字と暖簾、小さなイーゼル(easel)風の架台に載せた品書きなどシック(chic)な外観が店内の暖かさを連想させる「集(しゅう)」なる店(橘通東2丁目、0985-24-0788)。店主は美人の大将「あゆみちゃん」で、母上君と2人で切り盛りする。前回のコラムの大将(座王)同様に、趣味とグルメ放浪が高じて自分の店を開いたそうだ。魚類の衣はサクサク、中身はホクホク、プルルプルル・・・野菜類の衣はカリカリ、中はホクリホクリ、キャシキャシ、パリパリ・・・と玄人(失礼か?)顔負けの腕前だ。特にこの時季が旬でメニューの1つのキビナゴは、キシリと背筋を伸展して、十数匹が衣を橋渡しに、不思議な造型をなしている(褒め過ぎか?)。
先達ては、小生の母上からクール便で送られてきた井手に自生しているセリ、裏山(里山)の古参竹、イワジ茶(学名が判りません。)、などを「集」に持参して揚げてもらった。端から端ではなく、箸から箸へ、そして小生の口から胃袋へ。この日のビールは格別美味かった。
「集」では他にコラーゲンが凝縮された手羽焼き(ピリ辛が良い)、トンソクが女性客に人気だ。大のトンソク嫌いの我が嫁さんも「集」のだけは旨いとのたまう。実はそれには訳有りで、肌艶や皺が気になりはじめたのかと思っている。遅きに失することで、10年前ならなんとかなったかも知れないが・・・。
その他都城産の馬刺、観音池ポーク串カツ、たらこあんの湯豆腐、ささみチーズ春巻、玉子焼、日向産の蛤の吸物、9月から4月までのおでんも侮れず、オススメだ。
1748年の「歌仙の組糸」に今日の天麩羅の形態(レシピ)を具体的に記述したものがある。「てんふらは、何魚にても温鈍の粉をまぶして油にて揚げる也。但前にあるきくの葉、又牛蒡、蓮根、長いも其外何にてもてんぷらにせんには、温鈍の粉を水醤油ときて塗付て揚る也。直にも、右之通にしてもよろし、又葛の粉能くるみて揚る猶宜し。」とある。
因みに小生の好みの種の一番は小柱(バカガイの貝柱、鮨ダネのアオヤギはバカガイの足)のかき揚げで、これを「天茶」で食するともうたまらない。池波正太郎も言っているが、本物の天麩羅は結構いや相当の量食しても胃がもたれない。しばらくすると小腹が減るから嬉しい。