昨日7月7日、待ちに待った高校野球甲子園夏季大会の宮崎県予選が開幕した。毎年、緊急の手術や重症患畜の入院がなければ握り飯とペットボトル、それにアイスノンと氷水を浸して冷やしたタオルを2,3枚持参しての観戦だ。週に1回、可能なら2回はサンマリンもしくはアイビースタジアムに足を運ぶ。1日3試合観てもさほど疲れを感じないから不思議だ。
高校野球が面白い理由の一つは試合のテンポが速いことだ。日本のプロ野球はトロい。東京に住んでいた4年弱の間、後楽園球場に足を運んだが、投手の交代時には特にひどい。思うにこの間にテレビのコマーシャルをワンサコとやる。表・裏の交代の時もCMが2・3本入るようにスローテンポで攻守の交代とピッチング練習をやる。これじゃ、ゴールデンタイムの野球視聴率が一桁台でも無理はない。昔は地方局が2局、NHKが2チャンネルの計4チャンネルしか映らなかった。小生の実家は中学が終わるまでUMKはみれなかった。今ではBS、スカパー、ケーブルテレビと何十チャンネルも選択可能だ。日によっては同じ試合を3局(3チャンネル?)で放映していることも珍しくない。
その反面、大リーグはスピーディかつパワフルで割合に飽きが来ない。それに勝敗が決するまで延長がつづく。西海岸と東海岸では3時間の時差があるから、野球専門チャンネルでは、場合によると数試合をいずれも生放送で10時間以上も放映している。野球好きにはたまらないであろう。もちろん有料チャンネルだ。日本のように無料ではないが、ノラリクラリの展開でその3分の1位がCMときて、挙句の果ては、「結果は後ほどのスポーツニュースで・・・・・」という尻切れトンボ放送よりはマシだ。ストレスも溜まらない。
小生も高校・大学とチョッとではあるがユニホームを着た一人だ。高校3年の夏の甲子園・県予選1回戦の対日向高校との試合では、終盤に逆転の走者一掃の3塁打を放った。その直後次打者の2塁ゴロでホームに突っ込み余裕のタッチアウトを喰らった。下手なヘッドスライディングで擦り剥いた顔面と曲がった眼鏡のフレームを手にベンチに帰るとことさら監督に叱責された。3塁打は未だに褒めてもらっていない気がする。2回戦は阪神、ダイエーでプレー・活躍した高鍋高の池田投手と対戦した。小生の打順が回ってくると、案の定、監督から出たサインは送りバントであった。結果は予想に反して成功だった。彼は次打者を抑える自信が十二分にあったので彼自身の所にきたゴロを無理をせずに1塁に投げたに違いない。
大学では1年ですぐに使ってもらった。熊本で開かれた春の九州大学野球では準決勝まで進んで、3安打か4安打うった。本当に良いところで打てた。デットボールも普通の選手なら避け切れるところが小生にはそれができなかった・・・・・が、皮肉にもこの出塁が決勝点となるホームを踏むことになった。最後の試合ではこれも普通の選手には訳無く捕球できる3塁ゴロの送球を、1塁を守っていた小生がエラーしてしまった。このミスがきっかけで敗退した。この時も先輩に睨まれ、一言二言いや三言いわれた。予想外の勝ちに皆旅館代を3日分借金して宮崎に帰った。
高校野球にはドラマがあるとよく言われる。例えば送りバントやスクイズをプロの選手が失敗すると、これはみていて面白くない。高校野球では失敗することが多々あるので守備側の応援をしていると有難いことで、文句なく嬉しい。当たり損ないの凡フライもポテンヒットとなり易い。これも非力の選手だから生まれやすい。応援団も違う。父兄会はじめ、田舎のオジちゃん、オバちゃん、親戚一同が集う。学生は塩を舐めては水を飲んで声を嗄らしながら校歌、応援歌をドナる。バックネット裏で陣取る熟年や老頭児(ロートル)の講釈集団の横に座って解説を聞くのも高校野球の球場観戦の味わい方の一つだ。ラジオやテレビのアナウンサーや解説者が実況放送している現場のそばでその声を聞きながら試合を観ると、試合と放送のタイムラグや慣れないアナウンサーの奮闘振りが判り、これもここでしか味わえない。
高校野球に限らず高校生のスポーツは実力や運に個人差はあれ、ファインプレーも有ればエラーもある。歳がいけば後者の方が人生の糧になっていると思うのは、小生だけではあるまい。高校球児よ、エラーを恐れず思いっきり、プレーすべし。
余談だが現在日本経済新聞に連載中の長嶋茂雄の「私の履歴書」がなかなかいい。左手で書いた題字が往年の流れるようなボール捌きとスローイングの様を彷彿とさせるから、まさしく野球の神様のなせる業だ。小生は数年前長嶋茂雄が監督の背番号をいつ披露するかしないかと騒いでいた時・・・・・、問題のXデーの前日、サンマリン球場内の正面入り口から一塁側ベンチに向かう監督とすれ違った。異様な雰囲気を感じて目をそらしてのすれ違いさま、監督の背中を拝んだ瞬間、小学生のころ見た「巨人の星」で大リーグボールを完成させた時の星飛馬が背中をみせて、仁王立ちした体の前方から光を浴びたシーンとマッチングしたのを鮮明に記憶している。監督の背中にはあの時確かに後光が差していた。立教時代のマニラ遠征から始まったという英語交じりの長嶋トークが、野球を愛して止まないのが哀しいほどに伝わってくるあの笑顔とともにいつまでも聞きたいものだ。
球場で病院からの救急の電話が鳴りませんように。