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今も生きてる医聖「華岡青洲」

  犬・猫の皮膚病の診断名は400~500を数える。

  1例目の雑種犬は皮膚の生検を行い、東京の獣医大学を中継して某大学医学部皮膚科の組織診断を仰いだ、いわゆるお墨付き・正真正銘の天疱瘡である。天疱瘡の治療はプレドニゾロンやアザチオプリンのステロイド(免疫抑制剤)に頼らざるを得ない。飼い主さんが「十味敗毒湯」と併用して与えたら調子が良いと言う。本症例は発症して7年、現在13歳で存命中だ。

  次の症例は腹腔内腫瘍の脊髄転移に伴って後躯麻痺が起こり、これがもとでジョク瘡(床擦れ)を呈した8歳のゴールデン。大腿骨大転子辺りの骨膜が露出していた。「消毒を念入りにして反対側にもできないように気をつけるしかありませんね。」と飼い主に告げていたが、あまり時を置かずして、飼い主が完治させて来院。宮崎市内の某薬局で求めた「紫雲膏」という説明書を持参し、「これを塗ったら治っていきました。」と言う。

  日常の診療で飼い主さんと患畜から教わることは少なくない。上記の2例もそうだが、創薬者の名前を見て仰天した。日本有史以来の名医中の名医・華岡青洲であったからだ。

  華岡青洲は1760年11月30日、和歌山県の医者・華岡直道の子息として誕生。日本麻酔科学会のホームページによると、「華岡青洲は1804年10月13日、世界で初めて全身麻酔下に乳癌摘出術に成功した外科医です。この偉業は広く世界で知られたハーバード大学におけるモートンによる全身麻酔の公開実験の約40年前のことです。」とある。

  そのあと、「青洲は、麻酔という概念すらなく”痛み”に耐えることが美徳とされた時代に、実験を重ね朝鮮アサガオを主成分とする”通仙散”を合成し、自分の母親や妻をも実験に使ってこの偉業を成功させたのです。この偉業は1954年シカゴで行われた国際外科学会に発表され、その栄誉館には現在も青洲に関する資料が展示されています。」と続く。

  青洲は診療の傍ら麻酔薬の開発に執念を燃やしていた。創薬のヒントは、3世紀頃中国の名医・華陀が曼茶羅華(朝鮮アサガオ=中枢神経作用の強いスコポラミンを含む)を使用して手術をしたという記録であるとされる。当時も今と同じで麻酔薬があれば多くの患者を救うことができた。青洲の妹の「おかつ」は31歳で乳癌を患い亡くなっている。青洲は鳥や犬、猫を使って実験を繰り返した。三毛猫の「まふつ=麻沸」で成功した後、母親の「於継」と妻の「加恵」は人体実験台となり、「加恵」は失明した。青洲自身も副作用で下肢の神経障害を遺した。そして1804年10月13日、遂に「其の時」を迎えたのである。この間20年の歳月を要した。以降、76歳で没するまでの約30年の間、乳癌手術だけでも153例を数えた。「春林軒」で学んだ門下生は1861名に及んだ。

  「通仙散」は曼茶羅華、草烏頭(ヤマトリカブト)、白止、当帰、川弓、半夏、天南星の6種類の調合より成る。「十味敗毒湯」は紫胡、桜皮、桔梗、川弓、ブクリョウ、独活、防風、甘草、生姜、荊芥の調合薬。「紫雲膏」は当帰、紫根、ゴマ油、蜜蝋、豚油を含む。

  青洲の生誕地、今の和歌山県紀の川市平山近辺では、当時犬が居なくなるほど実験台に供されたという。二百年も前に創薬された薬が、現在の動物の、しかも比較的難治性である疾患の治療に役に立っている事は、無性に感慨深い。医聖に感謝、感動、感服。  

  これを書きながら、萬屋錦之介演ずる叶刀舟の悪人狩り「破れ傘刀舟悪人狩り」の、ある1話中のナレーションを思い出した。日本で最初の帝王切開が行われたのは天保年間(1830~1844)とあった。刀舟は架空の人物だが、年老いた華岡青洲(1760~1835=天保6年)が麻酔医で、油の乗った刀舟がメスを持ってコンビを組んでいたら、これは最高にオモシロイし、ウレシイ。

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