十人十色とはよく耳にする言葉である。広辞苑によると「人の好む所・思う所・なりふりなどが一人一人みんなちがうこと。」とある。犬、猫の避妊・去勢は日常茶飯事と言っていい位に多い手術であるが、術式は100人100色である。
避妊手術は獣医師なら誰にでも出来ると思われがちだが、そうは問屋が卸さない。研究室が臨床(外科)系の卒業仕立ての獣医師では、器用な側に属しても2~3時間は優にかかる。途中で院長や先輩の助けを請う場合も多い。まずはネコの避妊手術から入って、イヌの手術が一応出来るような腕前になるには少なくとも100例は経験する必要があろう。
避妊、特にイヌの避妊手術は一般の人が思っているよりも数段難易度の高い手術である。子宮・卵巣の臓器が体の奥深くに位置するため、手術操作に難渋する。避妊手術が全ての手術の基本とされる所以である。いわんや(況んや)避妊手術時の麻酔管理も、ハイリスク患畜の麻酔管理の基礎であることを胆に(肝に)銘じて日頃の避妊手術に向かわないとならない。
術式はまさに(正に)100獣医師100術式で、病院によって”多少の違いから随分と違う”までさまざまである。大学でもその系列によって東大式とか北大式とか、以前は良く言われたものだ。 十数年前のことになるが、国内のある獣医学会に招聘されて講演した米国の有名な外科専門医に、ある日本の獣医大学の有名な教授が質問した内容を今でも記憶している。「閉腹する時、腹直筋の筋膜だけ取って縫合するだけで術後のトラブルはないのか?。」というものであった。専門の洋書にも確かにそう記載してある。
イヌ、ネコの避妊手術は卵巣と子宮をどちらも全摘出するのが基本である。子宮のみ取るだけでは発情は残り、卵巣のみの摘出では特にイヌで好発の子宮内膜炎や子宮蓄膿症に罹患するリスクを負うことになる。昔、ヒトで実施していたような卵管結紮は行わない。
以下に当院での手術方法を紹介する。
1. 15時間以上の絶食、5時間以上の絶水。
2. 手術前の血液検査。
3. 点滴のための血管確保。
4. 吸入ガスによる全身麻酔(気管内チューブの挿入)。
5. 機械による人工呼吸の開始。
6. 血圧の測定・心電図のモニター開始。
7. 術野の剃毛・消毒。
8. 手の消毒(約10分)・滅菌術着と滅菌グローブの着装。
9. 術野のドレーピング。
10. 皮膚の切開→白線(正中線)の切開→子宮広間膜の
分離→卵巣の分離→子宮体の分離→閉腹(腹膜、
腹直筋と筋膜を一緒に連続して縫合)→皮下織の縫合→
皮膚の縫合。
11. 術創をガーゼ等で覆う。
12. 麻酔の覚醒。
13. 術創を舐めないようにエリザベスカラーや口輪の装着。
14. 1泊して退院。
15. 術後4~5日目に術野の消毒→術後10日目に抜糸。
前出の閉腹時の問題については、術後動物が暴れて腹圧が異常に上昇し、最悪の事態(術創の離開や腹壁ヘルニアの発生)とならぬように腹膜・腹直筋・筋膜を全てまとめて縫合している。
たばる動物病院における避妊手術時のその他の留意点としては、①聴診など術前の身体検査、一般血液検査と肝臓・腎臓などの生化学検査の実施。②徐脈や血圧低下など生体の急変時に備えてどんな症例においても必ず静脈内点滴の実施。③血圧や心電図のモニター監視。④術野の広めの剃毛と完全な消毒。⑤当り前だが、完全に滅菌された手術用グローブと術着の使用、滅菌された器具・器械の使用。⑥縫合糸は皮膚に使用するナイロン糸以外は、術後2ヶ月では完全に吸収される合成糸を使用する(絹糸は異物反応の原因となる場合があるため使用しない)。⑦術後は術創からの感染や、動物自身が術創を舐めて抜糸することなどを回避するため、バンデージングやエリザベスカラーを装着する。
イヌ・ネコの去勢手術の留意点も避妊手術に準ずる。これらの点に注意すれば、翌日からは食欲もあり、散歩などもしたがるが、2~3日は安静が必要だ。術創が完全に癒合する2週間後の抜糸まではあくまで(飽く迄)無理は禁物である。
若齢で健康そのものである動物の避妊や去勢手術に失敗が有ってはならない。特に死に至らせるようなことがあってはならない。たかが(高が)避妊、去勢手術だと侮らず、獣医師はもちろん飼い主の認識アップも重要だ。