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九州の最後の巨匠「高山辰雄」画伯逝く。

  昨日9月14日、九州出身で画界の巨匠の一人が、また逝った。日本画壇の重鎮・高山辰雄(1912-2007)である。

  九州は画家の宝庫であった。黒田清輝(1866-1924、「舞妓」=重文、東京国立博物館蔵)は鹿児島出身の洋画家で、法学研究のため渡仏(9年間)するが、印象派(外光派的技法)のコラン(1850-1916)に影響を受け、画家に転身した。黒田清輝と、裸婦がモティーフ(motif)の岡田三郎助(1869-1939、佐賀市、「水浴の前」=ブリヂストン美術館蔵)、東京美術学校校長の和田英作(1874-1959、鹿児島、「渡頭の夕暮」=東京芸術大学大学美術館蔵)の3人を称して「九州の三田(さんでん)」という。

  他に洋画では「黒扇」(重文、ブリヂストン美術館蔵)の藤島武二(1867-1943、鹿児島)、海老原喜之助(1904-1970、鹿児島)、児島善三郎(1893-1962、福岡)、古賀春江(1895-1933、久留米)、東郷青児(1897-1978、鹿児島)、田崎広助(1898-1984、福岡)、牛島憲之(1900-1997、熊本)、鴨居玲(1928-1985、長崎)など、有名どころがずらりだ。

  それに日本洋画界の最高峰はなんと言っても久留米出身の青木繁と坂本繁二郎である。2人は同級生で親交が深かった。天才・青木繁(1882-1911、「わだつみのいろこの宮」と「海の幸」=重文=ブリヂストン美術館蔵)は、世間にその才能を認められることなく夭折した。対照的に晩成の繁二郎(1882-1969、「放牧三馬」=同蔵)は長命で名声を得た。

  繁二郎が久留米の小学校で図画教師をしていた頃の教え子の一人が、(株)ブリヂストンタイヤの創業者・故石橋正二郎(1889-1976)であり、繁二郎は地下足袋からタイヤで財を成した正二郎に大天才・青木の絵画収集の工夫をもちかけた。繁二郎はデッサン力や創造性など青木の秀でた能力を最もよく知る人物の一人であった。久留米市と東京駅前のブリヂストン美術館には青木をはじめ錚々(そうそう)たる画家、巨匠の収蔵がある。当然の成り行きか、九州出身の洋画家の作品が多い。正二郎は竹橋の東京国立近代美術館を建造し寄贈した。

  高山辰雄は大分市出身の日本画家である。東山魁夷(1908-1999)、杉山寧(1909-1993、三島由紀夫の義父)と並んで「日展の三山(さんざん)」と称された。最後の「一山」が逝ったことになる。加山又造(1927-2004)、平山郁夫(1930-)を加えた「現代日本画の五山」も健在は平山画伯1人である。「五山」とも文化勲章の受章画家であり、それぞれに個性溢れる画風を産み出した。

  「五山」とも風景画や静物画、人物画など、そのモティーフは多彩だが、魁夷は湖や閑林の「馬」が佳く、杉山と加山の「猫」は筆舌に尽し難く、平山の「駱駝」はワールドワイドに有名だ。辰雄は幽玄の境地の「犬」がなんとも好い。動物をモティーフにしたものはどれも人気だ。

  乳白色の肌の「裸婦」と「猫」で有名な、世界で最も良く知られた日本人画家(芸術家)のレオナルド・藤田(1886-1968、仏に帰化)も、御多分に洩れず、ルーブル美術館で「モナ-リザ」を模写した。「このモナ-リザは贋作である。」と言ったという。理由を聞くと「ダ・ヴィンチが俺より下手である筈が無い。」と応えたというから、凄い。

  陶芸家・北大路魯山人(1883-1959)に師匠は居なかった。先人の「名品」を数多く収集し、眺めては愛(め)で・語らい、「名品」を師匠とし、独自の作風を創造した。

  我が宮崎県は画家をはじめ芸術家の輩出が少ない。洋画では佐土原藩の藩士の子息で婦人画の中沢弘光(1874-1964)、日本前衛美術の先駆者で名高い瑛九(1911-1960、本名=杉田秀夫)、藤田の下で戦争画収集に奔走した山田新一(1899-1991、西欧の婦人像や風景)、日本画では山内多門(1878-1932、橋本雅邦・川合玉堂に師事、帝展の審査員、「山村秋色」)、美人画の益田玉城(1881-1955)がいる。

  宮崎県立美術館は、美術を愛する子供や美術に対する潜在能力の高い子供たちについて、美術館を開放するばかりか、所蔵品に関しては模写を許すくらいの度量が要求されよう。子供の時期に最高のものに触れなければ、世界に通用する感性は育たない。

  高山辰雄は幼少の頃から豊後竹田生まれの文人画家・田能村竹田(1777-1835)の書画に親しんで育った。文化勲章受章の日本画家・福田平八郎(1892-1974)も大分市生まれだ。どことなく二人の画風は似ているようにも思える。
  
  「人間とは何か?」を問い続けた巨匠は、終(つい)には答えを見出したのだろうか。その作品は、森羅万象が荘厳であり、人間に限らず全ての生命の深遠なることを表現、教示してくれた。

  偉大な”求道者”に合掌。

 

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