このところの温暖化の中で、昔の「厳冬」を恋しがるのは小生だけではあるまい。小生は南郷村神門(現・美郷町南郷区神門)で生まれた。2月16日の神門の最低気温は氷点下6.6度と17日付けの新聞にあった。神門は宮崎県では最も寒い。台風の時季には全国のニュースにも度々登場するくらいに降雨量が多い。山間部の盆地で朝霧が深いのも有名だ。
約40年前に遡るが、小学生の頃、実家の下を流れる川(小丸川の支流)の浅瀬の澱みは薄く氷が張った。20センチ以上の雪も積り、臨時休校も1、2度あった。実家の冬の日照時間は2時間程しかない。正午頃に日が射し始めたかと思いきや、2時には陰になる。雪が積もると直射日光の全く当たらない日陰は1週間は消えない。当時はサッシ(sash)も無く、天井は吹き抜けで、障子と雨戸だけでは隙間風を防ぎ得ない。「大寒」の頃は最低気温が氷点下10度にもなる。中学の頃、余りにも寒いので温度計で気温を測ったのを記憶しているが、その時は、家の中と外との温度差が1度であったから、恐ろしい。暖房は自家製炭の囲炉裏だけであった。4㌔離れた中学校までの自転車での通学も大変であった。当時はカッター・シャツと制服だけで、靴下は常用できず、マフラーや手袋もなかった。毛糸のセーターや股引なるものなどは問題外の「贅沢物」であった。舗装されていない道路脇の田んぼで、作業前の土方のオジさん達がドラム缶で木切れを焚き「暖」を取っているときは超・幸運であった。遅刻覚悟で何も考えずお邪魔になった。正門には竹刀を持った先生がいて、何回か尻を叩かれた。冬の雨の日の教室は終日真冬日の日も有った。35年も前のことだから、栄養不良の貧乏児童の方が多く、「洟垂れ小僧」は全くをもって珍しく無かった。要は、昔の冬は「外も家の中も、そして体」も本当に寒かった。
この2月、久々の本格的な「冬将軍」の到来をみた。いま家にある「歳時記カレンダー」を見ると、今年の「立春」は2月4日である。「立春」は24節気の一つで太陽の黄経が315°のときで、冬至と春分のちょうど中間。節分の翌日で、旧暦では「春」のはじまりである。24節気(にじゅうしせっき)とは、太陽年を太陽の黄経に従って24等分し、季節を示すのに用いる中国伝来の語である。2月(如月=きさらぎ=着更ぎ=草木の更生することの意)の24節気は「立春」とその15日後の「雨水=うすい=太陽の黄経が330度の時で、雨水が温み草木が芽吹き始める時」の2つである。
では「七十二候=しちじゅうにこう」とは何ぞや。広辞苑によると「旧暦で、1年を72に分けた5日または6日間を一候とし、その時候の変化を示したもの。<季節>の語は四季七十二候から出た。旧暦の持っている太陽暦の要素である。」とある。一つの節気にそれぞれ3つの候がある。今年の2月の七十二候は、2月5日の「東風解凍=春風に氷が解け始める頃」、9日の「黄鶯ケンカン=ウグイスの初音が聞こえてくる頃」、14日の「魚上氷=温かくなった水の中に、魚の姿が見え始める頃」、20日の「土ミャク潤起=暖かい気候に土が潤い活気づく頃」、24日の「霞始タイ=霞が春景色を彩り始める頃」、29日の「草木萌動=陽気に誘われ草木が萌え出す頃」の計6つである。
しかし、2月4日の「立春」とは如何にも早く、まだまだ寒い。サッシや石油ストーブなどが登場したのはつい最近のことだ。莚(むしろ)や囲炉裏、雨戸などで寒さを凌いでいた時代、1日も早く「春」を迎えたいという気持ちは想像を絶するものであったろう。暖房手段の豊富な現在においても「立春」の語を聞くと、本当の「春」が間近だと感じる。因みに莚は畳の普及する平安・鎌倉時代まで板の間や土間に敷かれていた。
「二十四節気」と「七十二候」は古代中国の生んだ「無形の文化的世界遺産」の一つとでも言おう。日本にも中国とは違うが「節分」、「春の七草」(2月13日=旧1月7日)、「針供養」(2月8日)という古き良き風習がある。春の「節分」は立春の前日で今年は2月3日、「鰯の頭を焼いたものを柊の枝に挿して戸口に置き、その悪臭と棘で鬼除けをする。」と「大豆を炒ってそれをまき、歳と同じか1つ多い豆を食って、無病息災を祈願する。」。小生の「節分」は、宮崎市内繁華街の行きつけの居酒屋・「いわしや」で「鰯の尾引」を喰らって、その「頭」と骨全部は骨センベイで頂く。豆は連合いが買って来てくれた「千葉産の南京豆」一袋を3日かけて、胃弱を気にしながら「夏目漱石」張りに喰らう。喰える豆の数が年々減るのが何とも淋しいことだ。ハウスで栽培した「養殖七草(せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな=カブ、すずしろ=ダイコンの七草)」には閉口だ。綾町の「手づくり・ほんものセンター」に出向き、「●金」印(完全有機農法で農薬と化学肥料を全く使用しないで栽培した野菜)の野菜を7種類見つけて粥を作る。これで邪気が祓われること請合いだ。いつもお世話になっている「手術針」には一針、一針気持ちを込めて縫合することで、供養とさせて貰おう。
「節気」や「候」が気になりだした歳か。先人の残した「遺産」に感謝しながら毎日精進せねば。良寛(1758-1831)の歌に「なにとなく 心さやぎていねられず あしたは春の はじめと思へば」とある。また日蓮(1222-1282)の「冬は必ず春となる」の名文もある。「厳冬」ほど「春爛漫」となることを信じて、精進せねば、道は拓けない。
《附》●金:土壌消毒剤・除草剤を3年以上使用しない。化学肥料・合成化学農薬の使用はゼロである。●銀:同2年以上使用しない。同20%以下の使用・同5分の1以下の防除回数。●銅:同2年以上使用しない。同20%以下の使用・同3分の1以下の防除回数。