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春が来た-走り・旬・名残-。

  来た、来た、春が来た。咲いた、咲いた、さくらが咲いた。出た、出た、初物が出た。最近は居酒屋通いが殊の外、楽しみだ。日没も遅くなり、明るいうちからのビール1杯は格別である。美味くて安い、旬の物が目白押しで、流涎ものだ。
 
  4月1日、今年も焼き鳥の名店・中央通の串道楽「座王」の大将・高木さんからの「初物の携帯」が鳴った。青島獲れ初鰹の「餅鰹」が手に入ったとのことだ。早速、連合いとスタッフ3人を引き連れての「餅鰹詣」に行き、初物を頂いた。餅鰹は死後硬直が解ける前のものなので、春でなくとも食することができるが、そのモチモチ感と味の本領は春でないとダメである。「初鰹」は広辞苑によれば、「一番早くとれる走りのカツオ。美味で、珍重される。」とある。「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」(素堂)、「鎌倉を 生きて出でけむ 初鰹」(芭蕉)、「女房を質に入れても食べたい初鰹」からも分かるように、江戸の昔から初鰹は美味かったのだ。初鰹の値段は米俵4俵であったというからビックリ仰天である。青魚特有の臭みが他の季節に比べてかなり少ないと感じられるのは、焼酎漬けの小生の舌のせいではなさそうで安堵した。青島港から2時間の沖合いで獲れた一本釣りの鰹は、帰港まで2時間かかり、港で待ち受けた大将が中央通の「座王」まで運ぶのに1時間を要し、小生ら「のんべぇー」の胃袋に到達するにはさらに1時間かかる。総じて最低4時間が必要である。これに加えて鰹は割いてみなければ中身が上質か反対の「ごり鰹」かが分からんというから、輪をかけた厄介ものである。青島の漁師さんをはじめ並々ならぬ労苦があっての「餅鰹」であることを忘れず、青島の方角に手を合わせて一咬・一噛頂こう。「漁師さま 座王さま 餅鰹さま」。

  天ぷらもイケル。秋に河口で産卵されて孵化した鮎は、河口付近の海中で成長し、この時季には5~10cmの稚鮎となり、溯上をはじめる。この溯上間近の、川底の苔を食する前段階の「稚鮎」の天ぷらはこの時季限定の宝物である。淡白すぎる身と胆汁の苦・渋味のほんのり感がなんとも言えず嬉しい。西銀座通の酒菜「ふく膳」では、氷水で稚鮎をまっすぐに不動化し、この状態のままで衣に潜らせ天ぷら油に送り込む。稚鮎にはなんとも残酷だが、これまた有難い旬魚である。「ふく膳」ではこの時季、天然のたらの芽はじめ、空豆、茶葉、行者ニンニク、・・・も頂ける。大将・福島さん自らが採取した天然の山さん椒は、正しく青葉にして、噛んでも全く当たらない柔らかさである。その風味は格段に濃厚で「アラの煮付け」の主格とも言える。「ふく膳」ではや々大振りの日南獲れの旭蟹も久し振りに堪能させて頂いた。行者ニンニク(北海道ではアイヌ葱という)5パックも市場よりひいてもらい、その日の内にジンギスカンをして喰らった。ジンギスカンにアイヌ葱は、行者僧がくれた至極の取り合わせである。

  しら魚もこの時季3度頂かなくては、初夏は迎えられない。しら魚は広辞苑によると「シラウオ科の硬骨魚。体長約10センチメートル。・・・・・春先、河口をさかのぼって産卵。日本の各地に産し、食用。シロウオ(素魚)は外観も習性も本種に似るが別種。・・・」とある。このしら魚、今年は中央通の磯料理「一八(いっぱち)」で馳走になった。もちろん「踊り食い」だ。少量の玉子を出汁で溶いて抹茶茶碗サイズの器に入れ、この中でしら魚を泳がせる。しら魚は跳ねるときだけ姿が見え、残虐心がかなり減弱されるから助かる。先ずは活きの良いやつを宮本武蔵張りに割り箸で1匹素早く摘み上げ、歯を軽めに当てると口腔内のクスグル感が何とも良い。次いで箸の助けを借りながら、4~5匹をいちどきにすすって放り込めば、口腔内から咽喉頭、そして食道の噴門まで踊るは踊る、踊るは踊る・・・・、至福の30秒間であった。「しら魚のような指」をした美人と一緒に喰らったら、・・・・・・・・・・、そんなに現実は甘くない、甘くない。

  どこかで書いたが、旬とは10日間をいう。初鰹の旬は幸いにも長いが、稚鮎やしら魚はそうは問屋が卸さない。旬に入る直前に「走り」で喰らい、「旬」に絶叫を上げて喰らい、そして旬が終わって間が無い折に「名残」として喰らう。3度頂かなくては生きている甲斐がない。

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