文字通り1000日(実際に歩くのは「975日」で残りの25日は一生かけて修行するとされる)かけて地球1周の距離・・・それも山谷を踏破(回峰)する荒行である。中途、5年700日の回峰を満行すると「堂入り」がある。182時間(9日間、丸7日半)、ひとり堂に籠り、「飲まず(断水)・食わず(断食)・眠らず(断眠)・横にならず(断臥)」。この「堂入り」では日に1度、深夜2時に堂を出て不動明王に備える水を汲む。
回峰は深夜の勤行の後、午前2時に出発し、真言を唱えながら、264箇所で礼拝しながら、約30キロを平均6時間で巡礼。最初の1~3年目はこれを年100日、4~5年目は年200日行う・・・ここまでが5年で計700日が経過する。そして凡人は到底不可能な死覚悟の「堂入り」にいよいよ突入。
「堂入り」が終了した後の6年目は、1日約60キロを100日続け、7年目は初めの100日は84キロ(京都大回り)を、後半の100日は比叡山中30キロを踏破する。
※酒井雄哉・大阿闍梨は1926年生まれで2013年に他界。1回目の「千日回峰」は1973年(昭和48年)に入り1980年(昭和5年)10月に満行。それに満足せず、わずか半年後に2回目の「千日回峰」に入り、1987年(昭和62年)7月、60歳で満行を達成。ところで酒井雄哉師は宮崎の宮崎海軍航空隊(後の松島海軍航空隊・陸上攻撃機)を経て鹿屋飛行場に移り、特別攻撃隊員として終戦を迎えた・・・という。俳優の三国連太郎(宮崎交通勤務経験)ではないが宮崎に縁の著名人だ。