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漢字と日本・その1「漢字の伝来」

 もともと日本には文字がなかった。では、日本人の先祖がはじめて目にした文字は何であったか。それは漢字。漢字がいつ頃入ってきたかは不明だが、佐賀の吉野ケ里遺跡で発見された紀元前一世紀(弥生中期後半)の甕棺墓に眠っていた銅鏡に漢字が書き遺されていることから、二千年前には既に漢字は大陸から渡っていたと考えられる(NHK知るを楽しむ・歴史に好奇心「日中二千年 漢字のつきあい」加藤徹・pp16~17・2007年日本放送出版協会を参照)。「久不相見、長毋相忘」(久しく相見ざるも、長く相忘るること毋からん)と鋳込まれていたという。意味は「長いこと会えなくても、いつまでも忘れないでね」。
 
 中でも有名な遺物は、後漢の光武帝が西暦五七年に倭の「奴国」の使者に与えたという「漢委奴国王」の金印である。意味は諸説あると言うが「漢の倭(「委」わ)の奴(な)の国王」が一般的か。弥生時代から飛鳥時代の遣隋使(607~614)、それに平安時代までの遣唐使(630~894)に至るまでその他の国と同様に中国に対して朝貢を行っていた。「漢委奴国王」の印は「漢(かん)の倭(わ)の奴(な)の国王(こくおう)」と解釈されるから・・・「委」は人偏を略した「倭」(中国が日本を指した蔑称)であり、すなわち二千年前の大和の国には「奴」という国が存在し、その「奴」の国は漢の属国とみなされる印なのであろう
つづく

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