●4年半前の10月の「親仁ギャグ」に白鳥由栄が登場していました。以下、どうぞ。『吉村昭著の「破獄」。主人公の佐久間清太郎(モデルは白鳥由栄=しらとりよしえ元受刑者)は昭和11年に青森刑務所、昭和17年に秋田刑務所、昭和19年に網走刑務所、昭和22年に札幌刑務所を脱獄。警備が厳重で設備も頑丈な網走刑務所を逃走したのは彼が最初。4度目の札幌刑務所も彼のために独房を改良したにもかかわらずである。1回目の青森は「合鍵づくりについては、驚くべき方法がとられていた。かれは、入浴時に手桶にはめられていた金属製のたがをひそかにはずして房内に持ち帰り、かくした。ついで、入浴後、房に入る時に湯でふやけた掌を錠の鍵穴に強く押しつけ、その型をとり、さらに入浴中、臀部をあらうふりをよそおってたがを床のコンクリート面で摩擦し、合鍵をつくった。」(p28)。2回目の秋田は「守宮(やもり)を考えてくださればいいですよ」(p91)「頭を上にして這いあがってゆくのだろう、と想像していたが、ちがっていた。かれは少し体をかたむけて、両足の裏を一方の壁に押しあて両掌を他方の壁に密着させた。そして、足裏と掌を交互にずりあげてゆくと、体が上方にあがりはじめた。・・・やがて体がかたむいたまま天井に達し、力をこめて手足をふんばると、片手を電球にのばしてゆるめたり、しめたりした」(そうして天井の明り窓の木枠を外して独房を脱出した)(p395)。3回目の網走は、特製の手錠に「かたくしめつけられたナットが、どのような方法ではずされたのか、刑事は入念にしらべた。ナットは深くうちこまれていたが、床におかれたナットをしらべてみると、意外にも腐蝕していた。その腐蝕の度合は、長い歳月を経なければそのような状態にならぬはずであった。刑事は、ナットを見つめ、指先でふれ、表面に湧いている錆をなめた。独房の中がさぐられ、刑事は、湯呑み茶碗に眼をとめた。底にわずかであったが、黄色い液がのこっていた。それを嗅ぎ、指にふれてなめた刑事は、『味噌汁だ』と、つぶやくように言った。」(p176)。4回目は「脱獄の準備をはじめたのは脱獄の数日前からで、便器のたがをはずし、釘できざみをつけて鋸をつくった。それを使用し、二日間で床板をひき切った。三月三十一日午後九時すぎ、板を引きあげてそのすき間から床下にもぐり、食器で土を掘りすすんで獄舎の外に脱出した。」(pp329-330)。さらに「高い塀をこえる方法をたずねると、佐久間は塀ぞいにななめに駆けあがれる、と答えた。また床板などの釘をぬきとるのも、指を釘の頭に強く押しつけて回転することをくりかえせば容易だ、と言った。」(p396)。以上は、親仁がこの「破獄」を読んで不謹慎にもあまりに感激したものだ。事実、無期刑囚人の佐久間清太郎は一部の庶民や囚人から英雄視された。この本のなかで吉村昭は、(戦前戦中ということもあって)囚人が道路工事や魚市場(鯡)での作業、造船業務など多岐にわたって従事したことを書き連ねている。戦争という国難に際し、彼らの愛国心は少しも劣るものでないことを物語っている。2013年10月4日。』。
●22日ぶりに広島市で身柄確保された今治の受刑者。壁がないから何の苦難もなく脱走できたのだろうが、事は重大の「脱獄」である。延べの総動員は1万5千人とも。山狩りならぬ島狩りであったが、脱獄囚が捕獲されたのは島外であった。身柄確保を受け、マスコミは大騒動。しかしこれしきの事に驚いちゃいけません。過去には天才的な脱獄者がいました。筆頭は「昭和の脱獄王」の異名で称賛された白鳥由栄(しらとりよしえ・1907~1979)。彼は26年間もの服役中に4度の脱獄を決行・成功させ、「脱獄の際に看守に怪我をさせたり、人質を取ったりするような強行突破をしたことは一度もなく、当時の看守の間で「一世を風靡した男」と評された(Wikipedia)」。その累計逃亡年数は3年にも及んだのだ。2番手は、日本において最高の7回の脱獄を成功させたことで知られたる「脱獄魔」の西川寅吉(1854年~1941年・三回目の脱獄で捕らえられた際、五寸釘を踏み抜いたまま3里の道を逃げたことから「五寸釘の寅吉」とも)である。今回の脱獄・逃走劇は週刊誌ネタにはなろうが、まさか映画の主役や小説の主人公には程遠かろう。上の「脱獄王」と「脱獄魔」のふたりは吉村昭の「破獄」(白鳥由栄・新潮文庫・緒形拳主演で映画化された)と、同じく吉村の「赤い人」(西川寅吉・講談社文庫)でヒーロー(?)として登場し、歴史に残っている。実際、ふたりの偉業は網走刑務所にマネキンとして生きている。何事も上には上が居るという譚でした。つづく。5月2日。
●「戦国時代の戦闘が、何のかかわりもない庶民の生活を踏みにじってきたかのように、今は思われようが決してそうではない。ことに名将といわれるほどの武人は、自分たちの戦闘が無辜の民の生活を傷つけるのを何よりもおそれたものである。戦国時代にも、いろいろの段階があり様相がある。やむを得ない場合をのぞいて、戦場をえらぶことは暗黙のうちに敵も味方も心につけていたのだ。領国をおさめ、天下をおさめようとするものが、民の人望を失ってはならない。例外はいくらもあろうが、信玄や謙信ほどの武将ともなれば、やたらめったに村や町へ侵入して火をつけて戦闘を行なったり、略奪をしたりなどというようなことは決してしなかった。」。これは池波正太郎の「夜の戦士(上)・川中島の巻」(角川文庫・2018年3月20日改版9版・p208)の文章である。森・加計にセクハラに改竄にと、裏でこそこそしているゆえに、真相解明の陣頭指揮ができないでいる安倍ちゃん。国会は空転中。北朝鮮の非核化協議は蚊帳の外。池波正太郎先生の「名将」を「歴史に名を残す宰相」に置き換えてみると、360度どこから見ても今の安倍ちゃんの姿勢じゃ、信玄や謙信にはその膝下にも及びませんな。4月30日。