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今週のつぶやき親仁・2018年9月9日(日)~9月15日(土)

●関空の連絡橋にタンカーが激突したことに、大阪の知事が御碇(錨)だ。いやいや大お怒りだ。古来の武士道精神を貫く戦国武士や、203高地やノモンハン事件の日本兵なら火縄銃や機関銃、戦車砲から飛んでくる弾に向かって「いざ突撃」だっただろうが、今の時代、巨大台風の進行方向から逃げて遠ざからないというのは無謀すぎる。大阪湾も巨大台風の風浪にはその地勢学的防衛力も太刀打ちできない。その台風21号を向かい打つ形での北海道の旅。飛行機の羽田の羽田着陸時、東京湾には今まで見たこともない数のタンカーなどの大型船舶が錨を落としていた。関東は暴風雨圏内でもなかったが用心深い賢明な行動だ。それに引き換え関空の事故は”人災”に違いない。今までに大嵐で海や湾が時化て座礁や沈没した船舶は数えきれないだろうが、船長や艦長の機転でそれを免れた例も決して少なくはないはずだ。1867年の戊辰戦争の終盤、あの開陽丸も新政府軍と交戦することなく江差港外で波嵐に砕かれ沈没した。この開陽丸の場合、砕かれた原因は座礁であった。艦長の榎本武揚(釜次郎・1836~1908)は沈没を防ぐ最期の手段として、「ついには片舷の艦砲を一方にむかい、一斉に射撃した。その反動で暗礁から離脱できるかというかすかな希望がもたれたのだが、しかしむなしかった。」(司馬遼太郎「街道をゆく15・北海道の諸道・江差の風浪」pp169~180)・・・・・・のだ。「長」のつく役職にある者には知識と知恵と想像力と行動力が必須条件・・・・・・という譚だ。くどいが榎本武揚はその任の能力になかったということ。9月10日。

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