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今週のつぶやき親仁・2018年12月2日(日)~12月8日(土)

●ついでながら司馬さんの「この国のかたち」から。「四百語ほどの単語をおぼえておけば、包(ゲル)で暮らせる」「食べる、眠る、風が吹く、風邪をひいた、羊、馬、駱駝、牧草の名、犬をつないでくれ・・・・・・そういう日常生活単語をあつめると、四百か、多くて六百ぐらいにちがいない。たとえそこで土着しても、四百語だけで生涯がすごせる。」(司馬遼太郎「この国のかたち・六」・pp91~92・文春文庫)。家族内の日常生活と今回のケースを単純に一緒くたにはできなかもしれないが、どう考えても五十歩百歩の範囲だろう。中学・高校の時の英単語の試験を想い起こせば、外国人労働者のためにも、そして日本国のためにも簡単な英語を覚えることはそんなに苦にはならないであろうに。自分が地球の反対側の日本語が全く通じない国に行った時を想像してみたらどうか。そのくらいができないようじゃ我儘傲慢としか言いようがない。12月7日。

●私の見た「日本での外国人労働者の環境」の譚。ある運搬業者にアフリカ出身の男性が雇用されていた。彼の仕事の合間に少し話かけてみた。日本に来て数年たっているが日本語は堪能でないようだった。仕事の内容は主に物の持ち運び。「〇〇を持って来て」とか「〇〇を退けて」とか「〇〇を持ち上げて」・・・・・・といった簡単な、いわゆる単純(重)労働である。彼の名前は呼ばれるが、そのほかはすべて日本語である。現場とあって丁寧語なんて有り得ない。優しい言葉を悠長に使っていたらそれこそ怪我や事故のもとだ。現場に緊張感は必須だ。であるから厳しい言葉も強い言葉もあっていいし、なくてはならない。が、が、が、・・・・・・だ。「物の名前」や「持って来る」とか「持ち上げる」とか・・・・・・英語圏出身や英語のわかる外国人ならば、そのような簡単な単語は英語を使うべきであろう・・・・・・現場を目の当たりにしての率直な感想だ。怒鳴られながら一生懸命に動いている彼を見て可哀そうになった。希望と夢を抱いて地球の裏側(日本)まで来たのに・・・・・・である。会社でそういう(英語の)教育研修を日本人スタッフにすべきということだ。つづく。12月7日。

●「外国人労働者拡大法案」の譚。先日、ア〇ゾ〇に「岩井」を5本注文し送られてきた段ボールを開けると瓶が木端微塵に砕けていた。それも宅急便の配達員が中身のチェックを促した後のことだ。中身はすっかり段ボールに染み込んでアルコールは蒸発しきっていた。原因は粗雑な梱包にある。段ボールの中は瓶がくるくる踊れるくらいに空間だらけ。エアクッション(プチプチ)は用をなしていないのである。段ボールもよれよれの虚弱なものだった。運よくかどうか、割れていたのは1本のみ。むろん全部返品し、すぐに〇天で取り寄せたが、こっちはガラスの模範梱包であった。すぐにア〇ゾ〇から電話があり返金等の手続をしたが、対応に出た女性は外国人で日本語での意思疎通が不完全。途中何度か上役に確認を取っていたのか電話を待たされたが埒が明かず、代わったチーフと名乗る女性も外国人。流石にこちらの会話は成立。ア〇ゾ〇のカスタマーサービスセンターが日本にあるのかないのか、はたまた外国のどこなのか知らないが、トラブル処理までも日本語で意思疎通できない外国人を雇用しているのか・・・・・・少しびっくり。そもそも日本人があのようないい加減な梱包をするのか、できるのか(故意に粗雑に)、そこからして大疑問である。つづく。12月7日。

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