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今週のつぶやき親仁・2018年12月9日(日)~12月15日(土)

入管法の正式名称は「出入国管理及び難民認定法」で、昭和26年(1951年)に成立・施行したようです。ポツダム命令のひとつだと言います。略して、出入国管理法、入国管理法、入管難民法、入管法とも。テレビや新聞ではその略語の使用が統一されていないせいか、それぞれが全く別の法律かと困惑したのですが。私は大学人であったこともあり、説教魔と揶揄されるほどに若い人を叱責したものです。(最近は仏とまではいきませんが説教がめっきり減りました。怒るエネルギーが無くなったと言ったほうが正しいでしょうが)。それは半分冗談として、小言が減った大きな因は、私の子供の成長です。就職をして上司が私のような叱責をするようなら、それはとても可哀そうなことだと思うに至ったからです。(そうかと言って、自分の子供と学生やスタッフに差をつけて怒ったことはありませんが)。司馬さんの「二十一世紀を生きる君たちへ」は、恥ずかしながら昨年の7月に「司馬遼太郎記念館」を訪い、はじめて知りました。「おもいやり」や「いたわり」は自分の身に置き換えればということでしょうか。肝に銘じてはいますが、生来の性根は生半可な自制ではなかなか抑制できません。自己嫌悪の日々でもあります。それでも司馬さんの「二十一世紀を生きているオジサン」としては「優しい爺ちゃん」を目標とするしかないのでしょう。12月14日。

●「入管改正法案」が国会を通過しました。牛歩もどうかですが、審議はリニアの疾風の如くでした。以下の文章は1989年5月に発表(出版)された司馬さんの「二十一世紀に生きる君たちへ」(「諸学国語」6年下・平成元年用・大阪書籍株式会社)のものです。日本国民に限らず異国人や異民族への「いたわり」や「他人の痛みを感じること」、「やさしさ」について、その訓練法を説いています。小学生よりもどちらかと言えば大人向けのメッセージのようにも思えます。労働者として日本に来てくれる人々以上にわれわれ受け入れる側の努力と忍耐と覚悟が必要と言うことでもあります。つづく。12月12日。

二十一世紀に生きる君たちへ」(司馬遼太郎)
 私は、歴史小説を書いてきた。
 もともと歴史が好きなのである。両親を愛するようにして、歴史を愛している。
 歴史とはなんでしょう、と聞かれるとき、
「それは、大きな世界です。かって存在した何億という人生が
そこにつめこまれている世界なのです。」と、答えることにして
いる。
 私には、幸い、この世にたくさんのすばらしい友人がいる。
 歴史のなかにもいる。そこには、この世では求めがたいほどに
すばらしい人たちがいて、私の日常を、はげましたり、なぐさ
めたりしてくれているのである。
 だから、私は少なくとも二千年以上の時間の中を、生きてい
るようなものだと思っている。この楽しさは — もし君たち
さえそう望むなら — おすそ分けしてあげたいほどである。

 ただ、さびしく思うことがある。
 私がもっていなくて、君たちだけが持っている大きなものがあ
る。未来というものである。
 私の人生は、すでに持ち時間が少ない。例えば、二十一世紀
というものを見ることができないにちがいない。
 君たちは、ちがう。
 二十一世紀をたっぷり見ることができるばかりか、そのかがや
かしいにない手でもある。
 
 もし、「未来」という町角で、私が君たちを呼び止めることが
できたら、どんなにいいだろう。
「田中くん、ちょっとうかがいますが、あなたが今歩いている、
二十一世紀とは、どんな世の中でしょう。」
 そのように質問して、君たちに教えてもらいたいのだが、た
だ残念にも、その「未来」という町角には、私はもういない。
 だから、君たちと話ができるのは、今のうちだということで
ある。
 もっとも、私には二十一世紀のことなど、とても予測できない。
 ただ、私に言えることがある。それは、歴史から学んだ人間の生き方の基本的なことどもである。
 
 むかしも今も、また未来においても変わらないことがある。そこに空気と水、それに土などという自然があって、人間や他の動植物、さらには微生物にいたるまでが、それに依存しつつ生きているということである。
 自然こそ不変の価値なのである。なぜならば、人間は空気を吸うことなく生きることができないし、水分をとることがなければ、かわいて死んでしまう。
 さて、自然という「不変のもの」を基準に置いて、人間のことを考えてみたい。
 人間は–くり返すようだが–ー自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは、少しも誤っていないのである。歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。
 その態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。
 –人間こそ、いちばんえらい存在だ。
という、思いあがった考えが頭をもたげた。二十世紀という現代は、ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代といっていい。
 同時に、人間は決しておろかではない。思いあがるということとはおよそ逆のことも、あわせ考えた。つまり、私ども人間とは自然の一部にすぎない、というすなおな考えである。
 このことは、古代の賢者も考えたし、また十九世紀の医学もそのように考えた。ある意味では平凡な事実にすぎないこのことを、二十世紀の科学は、科学の事実として、人々の前にくりひろげてみせた。
 二十世紀末の人間たちは、このことを知ることによって、古代や中世に神をおそれたように、再び自然をおそれるようになった。
 おそらく、自然に対しいばりかえっていた時代は、二十一世紀に近づくにつれて、終わっていくにちがいない。
 
 「人間は、自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている」
と、中世の人々は、ヨーロッパにおいても東洋においても、そのようにへりくだって考えていた。
 この考えは、近代に入ってゆらいだとはいえ、近ごろ再び、人間たちはこのよき思想を取りもどしつつあるように思われる。
 この自然へのすなおな態度こそ、二十一世紀への希望であり、君たちへの期待でもある。そういうすなおさを君たちが持ち、その気分をひろめてほしいのである。
 そうなれば、二十一世紀の人間は、よりいっそう自然を尊敬することになるだろう。そして、自然の一部である人間どうしについても、前世紀にもまして尊敬し合うようになるのにちがいない。そのようになることが、君たちへの私の期待でもある。
 
 さて、君たち自身のことである。
 君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。
 –自分にきびしく、相手にはやさしく。
という自己を。
 そして、すなおでかしこい自己を。
 二十一世紀においては、特にそのことが重要である。
 二十一世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。科学・技術が、こう水のように人間をのみこんでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が、科学と技術を支配し、よい方向に持っていってほしいのである。
 右において、私は「自己」ということをしきりに言った。自己といっても、自己中心におちいってはならない。
 人間は助け合って生きているのである。
 私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。ななめ
の画がたがいに支え合って、構成されているのである。
 そのことでも分かるように、人間は、社会をつくって生きて
いる。社会とは、支え合う仕組みということである。
 原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。
それがしだいに大きな社会になり、今は、国家と世界という社
会をつくり、たがいに助け合いながら生きているのである。
 自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつく
られていない。
 
 このため、助け合う、ということが、人間にとって、大きな
道徳になっている。
 助け合うという気持ちや行動のもとは、いたわりという感情
である。
 他人の痛みを感じることと言ってもいい。
 やさしさと言いかえてもいい。
「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
「やさしさ」
 みな似たような言葉である。
 この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。
 根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練
をしてそれを身につけねばならない。
 その訓練とは、簡単なことだ。例えば、友達がころぶ。ああ
痛かったろうな、と感じる気持ちを、そのつど自分でつくりあ
げていきさえすればよい。
この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、
他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。
 君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、二十一世紀は
人類が仲よしで暮らせる時代になるのにちがいない。
 
 鎌倉時代の武士たちは、
「たのもしさ」ということを、大切に
してきた。人間は、いつの時代でもたのもしい人格をも持たねば
ならない。た人間というのは、男女とも、たのもしくない人格にみりょくを感じないの
である。
もういちど繰り返そう。さきに私は自己を確立せよ、と言っ
た。自分にきびしく、相手にはやさしく、とも言った。
いたわりという言葉も使った。それらを訓練せよ、とも言った。
それらを訓練することで、自己が
確立されていくのである。そして、”たのもしい君たち”になっていくのである。
 
 以上のことは、いつの時代になっても、人間が生きていくう
えで、欠かすことができない心がまえというものである。
 君たち。君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかと
した心を持たねばならない。
 同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつ
つ歩かねばならない。
 私は、君たちの心の中の最も美しいもの
を見つづけながら、以上のことを書いた。
 書き終わって、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがや
いているように感じた。
(平成元年「小学校国語六年下」大阪書籍)

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