●そしてコースがおわり、会計をすると・・・・・・なんと・・・・・・「わたしがホテルまで車で送ります」と、西さんが言うではありませんか。これまた身分知らずの二人は、固辞したものの、結局は厚意に甘えることに。待つのも束の間、西さん一人が高級外車を店先に横付け、そしてわれわれふたりは、彼のTホテルまで送ってもらったのであります。世の中、こんな夢のような譚が現実にあった・・・・・・という譚でした。今もあの夜のことは鮮明に記憶しているのであります。新聞のままの、またいつでも会えそうな、優しい笑顔を。11月2日。
●わたしの数少ない自慢のひとつ・・・・・・2019年10月28日の宮崎日日新聞の「追想・メモリアル」の欄に「西健一郎」さんが載っていた。むろん亡くなったのは直ぐのニュースで知っていた。かれこれ20年も前のことだ。友人の知る、西さんの店、「京味」を新橋に訪ねた。ふたりとも一見さんだったが、友人が誰の紹介だったのかは、いまは不明。譚というのは、なにの拍子か忘れたが、西さんと絵画の話になったところ、「あなたは詳しそうだから、一枚の絵を見て、いくらぐらいか、教えてもらいたい」という。わたしは当時、西さんがそんな偉い(「和食の神様」)とは知る由もなかったし、酒も回っていたので、知ったかぶりで引き受けたのだ。その絵と言うのは、むろん謂れつきで、西さんが若いころ、梅原龍三郎に鯛を頼まれて自宅に行った折、その魚を捌くまえに「いまからその鯛の絵を描く(デッサンする)から、そこに置いてくれ」」と頼まれ、その絵を貰ったそうだ。その前講釈のすぐあと、2階に消えた西さんがもってきたのが、色紙程のサイズの「龍」のサインが入った「鯛」のデッサンであった。わはしは身分もわきまえずに、「オークションでも50~60万は下らないでしょう」と答えたのであった。つづく。11月2日。