●世界遺産で日本の第一等の建造物である、法隆寺。しかしそれにしてもミステリーが存在し、いまだもって創建や再建についての論争が絶えない・・・・・・という。ではそのミステリーについてまとめてみよう。
①607年(推古15年)の創建。
②創建時の建物は、670年(天智9年)に焼失。現在残っている金堂や五重塔などの古くからの中心施設は、その後に再建されたもの。
③それでは、再建はいつなのか。中門の仁王像や五重塔に安置されている塑造彫刻群は711年(和銅4年)の作であることが判明しており、金堂や五重塔はそのとき既に完成していたことになる。また平安時代の文献に、法隆寺は和銅年間(708~715)に建てられたとある。
④五重塔の中心部を貫く心柱に用いられている用材は660~670年に伐採されたものであることが、近年の研究で判明。これを単純にあてはめると、現在の五重塔は、670年の焼失以前に建てられた可能性が高いことになる。
⑤以上が、創建もしくは再建されてから1300年も1400年を経過した現在もびくともしない荘厳さを維持している、法隆寺をめぐる大きなミステリーなのだ。このような文化施設がこれほどまでに維持保守されてきたいちばんの要因は、やはり聖徳太子への尊敬の念に尽きるのであろう。つづく。3月17日。
●「吾輩はワン公である」
吾輩は犬(ワン)公である。戒名は「551院逃亡筆居士」という。戒名であるからしてこの世には存在しない。あの世での名前は生前、すなわち前世と同じ「筆太郎」にしてもらった。生まれは主人先生の病院であった。母犬は山陰のある町の野良公とおもわれる。生後間もなく、臍の緒がとれなうちに当時主人先生の勤めていた動物病院の裏玄関の階段下に兄弟4匹とともに段ボールで捨てられてあった。主人先生曰、「初乳も飲んだのやら」。その4匹の中から細君が選んでくれたのが、白黒の吾輩の母犬である。3時間おきに哺乳して、蝶よ花よと育てられた。父犬は宮崎生まれの歴とした血統書付きのゴールデンレトリバーである。ふたりはあまりにも体格が違い過ぎていたので、主人先生は人工授精をしたが、母犬の骨盤に比べ胎仔が大きすぎたので帝王切開でこの世に出たのである。兄弟犬は雄雌2頭ずつで、どれもほぼ全身が黒色であったため、よく他人に珍しがられた。2頭の雌は県外の細君の実家にもらわれ、2頭の雄が主人先生の登録犬となったのである。つづく。3月15日。