夜間病院を開院して、来る5月で丸2年となる。神宮分院を始めた時は、不幸などの特別なことがない限り、1年3ヶ月は休みを取らなかった。夜間では、昨年の11月いっぱいの1年7ヶ月間、月に1~2日の休みだけであった。新年からは、月6日は休めているから、精神的に楽で、体調もよい。休みが少ないとストレス過剰になり、「ニシタチ」に通う回数も自然と増える。特に夜間診療後の学生アルバイトとの「ホルモン屋」通いは、メタボに拍車をかけた。今年に入り「ダイエット」挑戦中である。1ヶ月で5キロ痩せたから嬉しいではないか。
「ニシタチ通い」はそう簡単には減らせないが、晩酌は主たるビールから「ホッピー」へ転換している。そこで「ホッピー」について講釈を垂れてみよう。
愛読書「文芸春秋」・2008年9月号の88ページ、「ホッピー六十年」と題したホッピービバレッジ社長・石渡光一氏のコラムが面白かった。明治20年頃、赤坂で大工をしていた光一氏の祖父に、連隊に納める餅菓子を作ってみないかという話が舞い込み、次男坊で商才がありそうな父・石渡秀氏を指名してやらせた。すると今度は陸軍からラムネを作れと指示され、「秀水舎」という会社を起こした。若干15歳の時だ。東京ではラムネは冬にさっぱりだが、「雪国は暖房も効いているから咽喉が渇くんだよ」と聞くや、野沢(長野県)にも会社を設立した。そこでまたもや、当時流行のはしりであった「ノンビア」を作ってはとの、声がかかった。このノンビア、実は中身がラムネと大差ない。それに工場の近くにはホップ畑が広がっていた。現在の「ホッピー」誕生の大雑把な経緯だそうだ。
そして時が流れ、終戦の年(1945年)、銀座で進駐軍が飲み捨てたアメリカンビールの空きビンを、自作のカートで拾い集めたのが、当時四年生だった、現社長の光一氏に他ならぬ。当然ながら、きれいに洗浄されたビンには「ホッピー」が詰められた。来年は「秀水舎」創業100周年とのこと。光一氏は社長を退き、三代目女性社長が誕生する。
「ホッピー」は吉田類が良く好む「下町の大衆アルコール飲料」である。品名は炭酸飲料(ホッピー330)、原材料:麦芽・粉飴・ぶどう糖・スターチ・ホップ・酸味料・調味料(アミノ酸等)、内容量:330ml、アルコール分:0.8%である。気になるカロリーはビールの3~4分の1の11kcal/100mlで、プリン体ゼロである。またこれが、安いときている。1本105円であるから、「酒税」とは怖ろしい。
「気が抜けたビール」みたいなので、最初は抵抗があるかもしれないが、ほんのりと酔いがまわるに従い、「とりこ」となる。慣れれば、さっぱり系で肴の味を邪魔することがないから、ケッコウだ。さらにケッコウなことに「ダイエット」にもなるから、ハッピー・エンドとなる。「ホッピーでケッコウ、ハッピー」。くれぐれも、割られる焼酎は25度の甲類であるからして、乙類は決して注(つ)がないように。
「いつまでも有ると思うな親と金、無いと思うな運と災難」という大阪商人の商売訓がある。「金」が無くても「運」の尽いている時はまさにチャンスというのが、今回もホッピーから学んだ商売訓である。