そんなに頻繁ではないが、医師と話す機会がある。最近、ある医師と会食をした時に、小生と同席した獣医スタッフに「自分が何十年もかかって習得した技術をそう簡単に教えたらだめだよ」、と宣うではないか。
数日と時を置かずして、別の医師との会話で、小生が「医師が不足していて、折角の高度医療が迅速に受けられない状況は何とか打破しないといけない。その一案として、歯科医師は溢れているのだから、歯科医を数年臨床教育して医師として活躍してもらえばいいのではないか。今から医学部の学生定員を増やしても、一人前になるのに10年はかかる。」との趣旨を話すと、返答は「日本全国津々浦々、均一の医療を提供しなければならない」であった。
小生の場合、やる気のある若い獣医師には何でも教える。アメリカの英文の教科書を読むように指導する。だから、当院では患者が居ない時に英文の成書を読んでいる姿をよく見る。また、あるテーマを与えてそれを貫徹させる。「ペット豆知識」の執筆もその一つである。今月末からの「ペット・ラジオ診察室」の出演もそれを狙ってのことである。一般に開示する内容がいい加減であってはならぬため、寝る間を削って勉強する。半年も続けると、成長が目に見えるようになり、診療の質の向上に反映される。質問の内容も高度化する。成書に書いてない手技などの細部を惜しまずに教授することである。成書は失敗し易い箇所について、通常触れないから、これが至宝(?)の伝授事項となる。
日本の小動物臨床獣医学は、いつも言うように、アメリカの請売りである。アメリカに留学した獣医師が帰国して新しい技術を講演会や勉強会で広める。大学の教官は外国の文献検索に余念がない。少なくともこの30年間は継承されている、紛れもない事実である。医学でも一部当てはまることであろう。アメリカ帰りのスーパードクター(プロフェッショナル)が持て囃されるのは、今に始まったことではない。「日本全国津々浦々での均一医療」など出来る訳が無い。現に、東京とこの宮崎での医療の格差は甚だしい。優に5年以上のタイムラグがある。医師の能力と技量は一様ではない。そればかりか、医者を好きではないのだが、しょうが無いからやっている、という人間も少なくないであろう。医師会や政治はスーパードクターの芽を摘んだり、出る杭を打つのではなく、反対に積極的に育成しなければならない。医師の格差を作ることが、患者に恩恵をもたらし、延いては医療レベルの底上げにつながるのである。患者の少ない医師は「飯を食う」ため、必至になって勉強するのである。
人間、神様ではないから、失敗もあれば間違うこともある。五十路ともなれば、物忘れが酷(ひど)い。こういう時、若い獣医師はちゃんとカバーしてくれる。逆に、新しい知識や情報を教えてくれることも少なくない。質問されることで、改めて自分の無知を知り、老眼に鞭を打って、辞書を開く。飼い主さんとも邪念なく話し、良い方向に事が進む場合もある。ノウ・ハウを教えるどころか、こちらが成長させられているのが真実だ。
今日は再来年卒業(現在獣医5年生)の「青田買い」ができた。開業志望である。嬉しく有難いことだ。「井の中の蛙」か「島国根性」か、「僻(ひが)み根性」かは知らぬが、自分の成長を妨げる「影」には要注意である。”まだ、若いもんには負けられん”が、今まで先輩に学び、自ら習得してきた「獣医術」を伝授し、「明日の獣医師」を育成するのも、満更(まんざら)悪い気持はしない。