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今週の「親仁ギャグ」・2010年2月14日(日)~20日(土)

●朝日ビジュアルシリーズ(週刊)「池波正太郎の世界②」・剣客商売一の34ページに藤田まことインタビュー・「小兵衛の役は、誰にも渡したくない」のなかに、「「秋山小兵衛を演じるきっかけは、実は自分で売り込んだのです。十年前に『剣客商売』がドラマ化されるという話になった時に、「女房のおはるのお尻を触っても、わざとらしくなく見せられるのは、私ぐらいですよ」と力説しました(笑)。・・・・・プロデューサーや監督を口説きました。」」とある。事業に失敗し40億円もあったとされる借金。完済したというから凄いが、それには自分で売り込むことも致し方なかったのであろう。『剣客商売』は1972年1月から「小説新潮」で連載が開始された。池波正太郎氏は1990年3月に急逝している。『剣客商売』がフジテレビで放映され始めたのは1998年である。(2月20日)

上に続く。「「おはるが夕食をつくって小兵衛に食べさせるシーンでも、「先生、御飯ができたよ」という台詞だけなのに、必ず本物を用意してくれます。味つけも完璧です。・・・ドラマの中で食べたお気に入りの料理に冷奴があります。夏の暑い盛りのシーンで、井戸で冷やした豆腐に大葉を刻んでショウガとゴマ油を垂らすんですが、これが絶品でした。」」。昨春、銀座5丁目の『てんぷら 近藤』で店主の近藤文夫氏が、「剣客商売と鬼平犯科帳の番組内で出される料理は全て、私が実際に作った料理です。」と言っていたのを思い出した。(2月20日)

上の結び。「・・・小兵衛は四十も年若い奥さんをもらい、悠々自適なうえに立派な息子がいて、やがて嫁やかわいい孫ができて、時の権力者とも親しく、さらに剣の達人なんて、まるでスーパーマンです。老人のスーパーマン。みんなの憧れでしょう。ですから小兵衛の役はほんとうに役者冥利に尽きます。男のロマンですね。この役だけは他の誰にも渡したくありません。」。(2月20日)

●「必殺シリーズ」の元祖池波正太郎原作の「仕掛人・藤枝梅安をもとにした「必殺仕掛人」である。1972年9月2日に梅安役が緒形拳彦次郎役に岡本健、音羽屋半右衛門役に山村聰が扮した。「必殺シリーズ」で原作物はこの「必殺仕掛人」と第3弾の「助け人走る」(佐賀潜「清兵衛流極意」)の2作のみ。藤田まこと中村主水役で初登場する「必殺シリーズ」の第2弾・「必殺仕置人」(1973年10月20日~)などは、全て脚本(野上龍雄・國弘威雄・安倍徹郎ほか)もの。藤田まことが中村主水を演じた「必殺シリーズ」は全てで19作。509の作品で、手に掛けた「世の中に生かしておいては、ためにならぬ男(※)・・・」(池波正太郎・「仕掛人・藤枝梅安」より)は766人とも。
※注:実際は女も仕掛け、「おんなごろし」で仕掛けた「おみの」は梅安の実妹。(2月19日)

●今(11PM)、昨日から予約していたCATV・234chの「必殺仕事人Ⅴ 激闘編」がはじまった。最近、体を患っているのではと案じていた「藤田まこと」が逝った。あの「剣客商売」の「池波正太郎」とも、むうすぐ会えるだろう。また、昭和の「巨星」が去った。心の底から”合掌”。(2月18日)

●「スノボの國母」君。下野して暇な自民党のある国会議員が「礼儀・礼節」を欠いた「オリンピック選手」にエールを送っている。どんなスポーツマン・シップを教わってきたか知らぬが、国を代表する選手としては、論外の所作であろう。国会議員は別にすべき事が山積みな筈だ。この件は突き詰めれば人間性の問題で、さらに突けば親やコーチの責任であり、躾や指導ではなく「取り巻」化していたのだ。それだけのことで大騒ぎするものではない。メダルを取ったとしても君は満足か。(2月17日)

●「党首討論」でもう一論。谷垣総裁の大きな勘違い?論客になれない? 非凡でない? 器が小さい?・・・ことの証。一郎君の比にならぬ小者?。「税金」には市県民税や贈与税、健康保険(広義)などいろいろある。今、かなりの中小企業の事業主は法人税所得税どころか、「借金」やその利子さえ払えない。90兆を超えた予算だが、実質使える予算は40兆を割った。それからしたら数億は比にならぬ小額。別に議論してもらいたい。(2月17日)

●「茶番の党首討論」。もうそろそろ「快刀乱麻」で斬るものを斬り断つものを断たなければ、「堪忍袋の緒」が切れますぜ。人間開き直りが、奏功することも儘ありますぜ、鳩君。(2月17日)

●鳩山政権発足後、初の「党首討論」。相も変わらずの「政治とカネ」。「年金」・「経済浮揚と雇用」・「行財政改革」・「沖縄米軍基地移転問題」「天下り」・「地方分権(国と地方の有り方)」・「少子化対策や福祉」・「郵政民営」・「JAL問題」・・・・・・・・・・。今では、小学生もが「日本の将来」を憂いている。今日も45分の「茶番」。この「茶番」の間も税金を貪っている輩(やから)たちがほくそ笑んでいると思うと、腸(はらわた)が煮え返る。国民が望んだ「2大政党化」から「カネの呪縛」を解くのは、政治家の「良識と理念」だ。「総理!総理!総理! あなたは日本国の大将なんだから。」の言葉を谷垣総裁から聞きたかった。(2月17日)

●「何も言わず登場するだけでも、街で顔を見かけただけでも、笑ってしまう落語家や喜劇役者でないと「本物の芸人」とは言わない。今日は「休肝日」ではなく、「休・ニシタチ日」。今、「NEWS ZERO」で宇宙飛行士の野口聡一氏北野武監督(ビート・たけし)が宇宙交信している。にやにやしながら登場し、小林麻央キャスターに紹介された監督の受けの第一声は、「市川海老蔵です」。まいった。(2月16日)

●他業種ではあるが、やはり、「六次産業」には興味がある。どうして安易(やすやす)と「県外業者」を蔓延(はびこ)らせるのか・・・・・。宮崎人に欠けている忍耐」や「向上心」、「接客の基本」・・・・・。「都会人」に学ぶ必要がある。ANA(全日空)の社長・伊東信一郎氏、川崎重工業の相談役(前会長)の田崎雅元氏、サッポロビールの次期社長に内定した寺坂史明氏は宮崎県出身である。それまではいかなくとも、「経営のノウ・ハウ」を徹底して修得すれば、真の「地場産業」が誕生する。そして、県外へ進出する。(2月16日)

●スーパー・コンビニ・デパート・外食産業は「ユニクロ」と「マクドナルド」などの一部を除き、軒並み、売り上げダウンである。宮崎市内にも、いつの間にか、「すき家」が2軒(現在宮交シティー前に3軒目が建築中)、そして2月15日、柳丸に「餃子の王将」が進出してきた。フランチャイズだろうが、宮崎の現ナマ(生)が一部でも東京や大阪にもっていかれる。若者の雇用に助かるとばかりは言ってられない。宮崎が地場の「小店」は飲み込まれることも意味している。例えば、宮崎の「一次産業」・「二次産業」・「三次産業」を法人化などで一体化し、「六次産業」化しなければ、衰退の一途である。(2月16日)

男子500mスピードスケート。長嶋圭一郎(27)選手が、加藤条治(25)選手がメダルを取った。2回目・最終組の加藤は同じ組の選手を抑えたが、それまで1位の韓国の選手と2位の長嶋選手に及ばなかった。今年に入り、初めて「心臓の拍動」が脳に響いた。この種の感動はスポーツならではのことだ。浅田真央選手はじめメダルを狙う選手にとっても、今日のメダル2個は(プレッシャー緩和の面からも)価値がある。(2月16日)

●「箸でもう一膳」。饂飩屋・蕎麦屋から麺を啜る音が消えつつある。「割箸文化」も立派な文化。文化を軽んずる民族は発展しない。割箸を置かないのは簡単。それをカバーしようとするサービス精神工夫努力の欠片も見られないのは、至極に残念だ。「あんたら、それでも職人か」。中国の割箸は1本数円。「割箸」で日本の森を育てながら、雇用創出にも貢献できる。1本20円しても割箸を出してもらいたい。(2月15日)

●「割箸」は江戸人が発明した文化だ。それが今や、エコの敵。間伐材を使えば雇用にもつながる。使った割箸も他に活用できよう。「リサイクルの達人」・江戸人は、竹製の割箸を削って、また使った。「おい、饂飩屋のオヤジ、自分で打った麺を店の箸で食ってみぃ」。最近ではラーメン屋も既製の先細のツルツル箸を使うようになった。八角箸とは言わぬが、割箸の如く四角はないと、饂飩・蕎麦・ラーメン・ちゃんぽんの味は半減する。エコも奔り過ぎたら、味気ない。(2月15日)

●やはり、出てきた予算成立後の○○○一氏、○辺○○氏、鳩○○○氏らによる「新党結成」話。タレント議員3人衆が沖縄の一郎君の土地探訪じゃ、自民党は実質的に壊滅状態。一方、「鳩君は一郎君を切れない」の見出し。「切れない」ではなく「斬れない」だろう。三者択一の様相を呈してきたが、細川護煕氏の二の舞は御免だ。あまりにも迂回が過ぎて、今そんな時間的余裕はない。今回の「政治とカネ問題」に費やした予算審議の時間で、「政治資金規正法」強化の与野党合意の立案は可能であった筈だ。幹事長を辞任しても「一蓮托生」の道が完全に閉ざされたわけではなかろう。「そうですよね、「真実一郎」君。」。(2月15日)

●与謝野馨氏は与謝野晶子と鉄幹の孫である。なりふり構わぬ「国会質問」。「あなたは良家のお坊ちゃまなんだから」、「あなたは経済の政策通なんだから」・・・・・。いやいや失礼。「あなたは与謝野晶子の遺伝子を受け継いでいるんだから」・・・・・。でも、「君、血迷うことなかれ」。「血は汚い」とはこのことか。(2月15日)

●10年前は「鋤焼」の「○人鍋」、5年前は「豚しゃぶ」の「○人鍋」、今年から「湯豆腐」で「一人鍋」。
(ある自営業者が「メタボ解消」を誓って詠んだ川柳)(2月14日)

●昨日から「バンクーバー五輪」が17日間の日程で開幕した。小生が小学6年生の時、「札幌オリンピック」があった。1972年2月3日~2月13日のことだ。メダルを独占したスキージャンプ70m級の「笠谷幸生・金野昭次・青地清二」による「日の丸飛行隊」は、今も日本人の記憶に新しい。首相は佐藤栄作(1901-1975、ノーベル平和賞)で、第3次(1970年1月14日~1972年7月7日)内閣の時であった。1972年の2月は、オリンピックのほかに大きな事件が2つあった。一つは2月2日、大日本帝国陸軍伍長の「横井庄一」氏(1915-1997)が、グアムのジャングルと地下壕の生活から、28年ぶりに、母国・日本に帰還した。もう一つは、2月19日に起こった「浅間山荘事件」である。テレビの前に釘付けになり、日本中が感動と衝撃の両極端を味わされた、38年前の2月である。記憶の底から消えない1972年の2月戦後」と、連合赤軍の「浅間山荘事件」は、未だ終わっていない。(2月14日)

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