●4月20日の「検査上の第1例の口蹄疫」が報告された都農町の和牛繁殖農家がB獣医師に往診を依頼したのが4月7日。B獣医師は「たしかに熱を出しているのは一頭だけで、それもよだれが垂れている程度だったので、治りかけの風邪と診断」。翌々日の4月9日の所見は「上唇の歯茎の根もとに直径三ミリほどの小さな潰瘍をひとつ認めて、ドキッとした」。家畜保健衛生所に通報すると、その日のうちに獣医師が来て外観を丹念に検査(視診)して、「潰瘍以外はなにひとつ病変があらわれていないので大丈夫だろうということになった」。7日後の4月16日に同様な症状が別の1頭に見られ、翌日4月17日に来た家畜保健衛生所の獣医師の見解は、「口蹄疫以外のあらゆる感染症については陰性という返事。他の牛い症状はまったく出ていないのだし、東京の動物衛生研究所にも検体を送っておいたので、あちらの結果が出るまで経過を観察しましょう」。同下「文藝春秋」より。つづく。7月24日
●「文藝春秋」によれば、3月26日が事の発端で、都農町で42頭の水牛を飼育する牧場にA獣医師が往診。「風邪」や「中毒」を疑い治療を行うが、「どこか違う、どこかおかしい」と思い、3月30日に家畜保健衛生所に検査依頼。翌31日に家畜保健衛生所から3人の獣医師が来て、水牛から血液と鼻汁、糞を採取。しかし、検査結果の報告はなく、4月5日A獣医師が問い合わせると、調べられるものについては「陰性」という家畜保健衛生所の返事。乳量の回復しない水牛や涸れてしまった個体もあったため、4月14日、再度検査を依頼。4月20日、水牛牧場から600メートル離れたB獣医師が診た和牛繁殖農家で1例目の「口蹄疫」が報告された。水牛牧場で3月31日に採取された検体は、4月21日まで宮崎の家畜保健衛生所で保存され、東京の独立行政法人動物衛生研究所に運ばれて「陽性」と判定されたのは4月22日のことだ。奇しくもこれが今回の口蹄疫発生の真の第1例となったのである。つづく。7月24日。
●8月号の「文藝春秋」。p166~175、「宮崎口蹄疫禍 現地ルポ・牛はわしらの家族だった)」(文・高山文彦)を拝読あれ。「宮崎家畜保健衛生所」はじめ県の対応に微塵(一抹)の越度(失態)も無かったと思う読者は居るまい。現場の獣医師が「おかしい」と思った患畜に対して、検査を依頼された側の「家畜保健衛生所」所員の危機意識の欠如は、言語道断の不始末行為(不埒)に他ならない。断っておくが、高山文彦氏は高千穂町出身の作家である。つづく。7月23日。
●宮崎日日新聞は「真の宮崎県民の新聞か」。県や市町村が新聞広告の「上御得意様」(スポンサー中のスポンサー)であることと、県民本意の記事を書くこととは全くの別問題で、次元の差が鮮明だ。従来、地元マスコミが発信してきた「活字」には疑問が多い。率直に言えば、自治体とマスコミが「一心共同体」を形成して県民世論を煽動するスタイルだ。今日の一面は「県、対策費確保に躍起・各課中止事業洗い流し」。うむ、これだけ木端微塵に打ちのめされた農家や周辺の関連業が存在するのに、県は「基金」の取り崩しかよ。もしもし、東国原知事さん、この事態に至っては「県職員の給与30%カット」の知事裁量くらいのことはやってくれよ。つづく。7月23日。
●親仁の「いい居酒屋」とは「いい肴、いい人、いい常連客」。太田和彦氏の「いい居酒屋」は「いい酒、いい人、いい肴」だ。今日は最近開店した近場の居酒屋へ「初詣」。洋食とも創作とも何とも知れぬ「肴」と、座り難いカウンター。座り心地の悪いカウンターとは、椅子の脚が高くていかにも不安定で、「付台」(つけだい)の向う側の大将の所作が見ずらいというか、店側が客との会話を故意に拒んでいるのが見え見えの「付台」構造である。大将の方から客との会話を拒絶している「居酒屋」では、到底「いい人」の居酒屋とは言えない。新規出店で話好きな、会話のできる若い大将の居る居酒屋が少ないのには、親仁は本に寂しいぜ。居心地の良い処が「いい居酒屋」なのだから、「いい人」は第一義の条件だ。つづく。7月22日。
●「民間種牛処分問題」での農相との交渉後の知事のコメント。「この国には絶望した。特に農相にはうんざりした。どの面さげて来県するのか、KYにも程がある・・・」が、その要旨であろう。県自らも責任の所在を調査し、関係部署は被災農家はじめ県民と国民に広く謝罪しなければならない立場である。知事のKYな責任転嫁の手法は、県益をはなはだ損なわせることを全く解していない。つづく。7月21日。
●今日の宮崎日日新聞の一面。「対策費 県負担67億円・50億円に積立金減・国の支援不十分」。「責任究明へ第三者委・山田農相設置意向・拡大の経緯を検証」。農相のコメント、「現地の獣医を含めた疫学調査チームの報告によると、国への以前から発症があった、あるいは判断が遅れたという点は免れないのではないか。疫学調査チーム、第三者委員で国、県などの責任を含めて検証しなければならず、作業に取りかかった」。昨日までの東国原知事や宮崎日日新聞は、県の責任に対する追及が極めて消極的である。このことが県益の大きな足枷となっているとの認識が全くない、KYの象徴だ。つづく。7月21日。
●宮崎のタクシーは小型車で初乗りが1,500mまで560円、加算運賃が359mごとに80円、時間距離併用制運賃が2分10秒ごとに80円加算される。一方の東京は、小型・中型の区別が無く、普通車で初乗りが2,000mまで710円、加算運賃が288mごとに90円、時間距離併用制運賃は1分45秒ごとに90円加算される。東京と宮崎の平均収入の差からすると、タクシー運賃には差がない。車もガソリン代も同じじゃないかと言われれば、それまでか。「ニシタチ」で呑んだ後、夜10時以降にタクシーを利用した客には、○割引とか大特典クーポンを出すような、タクシーの革命寵児は出現しないものか。つづく。7月19日。
●「東京親爺」の呑み方と「宮崎親爺」の呑み方。「東京親爺」は職場の近くで呑んでも、歌舞伎町で呑んでも、新橋で呑んでも、どこで呑んでも電車代は初乗り160円か170円で、終電に乗って最寄りの駅で降り、タクシーに乗ったとしても初乗り2kmまで710円で、千円もあれば事足る。小生のような「宮崎親爺」は、往復タクシーを使うなら三千円と来ているから、始末が悪い。交通の便が悪いのにわざわざ「ニシタチ」に出向いて居るのだぞ。呑みに出るのに使う運賃は1メーターかせいぜい千円じゃわい。つづく。7月19日。
●やはり、気になる「ニシタチ」の低迷。江戸時代、江戸の飲食店の数は、人口比にして今よりも多かった。合併で宮崎市の人口は増えたが、絶対数は減っていると考えた方がよいし、今後は確実に減少するであろう。市郊外での飲食店の出店には目を見張るものがある。人口が不変か減る状況での新規開店の飲食店舗数の増加は、既存店に打撃を与えるのは必至だ。「ニシタチ」再生プロジェクトには正確な情勢把握が不可欠である。つづく。7月19日。
●第139回・全英オープンゴルフ。KKB鹿児島放送が4夜連続の生放送。今(19日午前0時半)、タイガーがホールアウトし、通算3アンダー。遼君は2アンダーで健闘か。タイガーが最後のパット後に見せたキャップを脱いでのギャラリーへの挨拶。ウッズの頭頂が明らかに薄い。あれほどの騒動では致し方ないのだろうが、彼はまだ34歳。妙にも親近感が湧いた。7月19日。
●「口蹄疫」が終息へ向かう中、3連休とも相俟って「ニシタチ」の人出が戻ってきた。そして、郊外の飲食店も頑張っている。本郷北方界隈や清武・加納近辺も、この数年でいろんな店が増え、この1年なんぞは「増殖」して殖えた感だ。「たばる動物病院」開院の前から暖簾を構える、近所の居酒屋に掛けられた電光掲示板の最近のメッセージに、思わず苦い笑いで、親爺に一本取られたり。「ここが元祖の居酒屋」。「ここが元祖の動物病院」も間近か。7月18日。
●というのも、2008年の日本本土の雀の数は推定約1,800万羽。20年前の1990年に比べ少なくとも半減し、場合によると5分の1という。農村の過疎化や近代住宅での営巣の困難性、コンバイン導入など農業の進歩(籾が落ちない)、都市での餌不足など・・・などが原因とされている。昔は瓦の下に巣くっていることが多かった。それを捕って遊んだ。昔の田舎の田園風景が目に浮かぶ。敵で喧嘩相手だった雀も今となっては愛しい生きものだ。「雀の千声鶴の一声」は現代ではかわいそうだ。7月18日。
●40年も前の田舎では、盆が過ぎ稔の秋ともなれば、雀と猪との格闘は大変なものだった。「雀嚇(おど)し」や「シシ(猪)嚇し」が至る所で「ドンドン」となっていた。キラキラ光る色付きのテープや案山子(かかし)も殆どの田圃にあった。子供は「ロケット弾」を飛ばしたり、「一斗缶」を木片で叩いて大音響を出し、雀を追っ払った。今思えば、懐かしい時代だ。つづく。7月18日。
●注意して観察しなければ雀に出会わない日も少なくない、近年だ。人間が住み始めた集落には雀も居着き、反対に集落が無人になると雀も見られなくなるという。中国では1995年に「四害追放運動」で雀を約11億羽以上も捕獲したと言われる。が、その結果、農作物の害虫が増え、全国的に凶作となった、という。1960年には「四害」(鼠・雀・蠅・蚊)から外された。本郷北方界隈の田圃の稲穂が色付きはじめる今週。雀は雑食性だが、好物はイネ科を中心とした植物の種子や虫だ。巣立って間もない若雀にとって、黄金の稲穂は涎ものだろう。つづく。写真有。。7月18日。