●延岡学園の夏の甲子園初出場は1978年の第60回大会だ。以降、1991年(73大会)、1994年(76大会)、2000年(82大会)、2006年(88大会)、そして今年の第92大会である。小生の仄かな記憶では、2000年の時であったろうか、延岡学園のレギュラー9人中1人しか地元(県内だが延岡市内ではない)出身がいなかった。8人は県外出身者であった。思い起こせば、応援のし甲斐がなかった。7月31日。
●雨のための順延で、2日も待たされた甲子園県大会決勝戦。午前の診療を終え、午後は若い衆に任せ、一路「サンマリンスタジアム」へ。結果は6対2で延岡学園に軍配が上がり、4年ぶり6回目の甲子園へ。点差程ではないが、実力差は明らかで、県代表としての期待が高まる。さらに、高鍋農業高校の野球部主将が甲子園での始球式に登場することになった。みやざき旋風で「口蹄疫惨禍」をぶっ飛ばしてもらいたい。写真有。7月30日。
●「ニシタチ」再興論議。郊外に増え、これからも増殖つづける「居酒屋」、「地鶏・ホルモン屋」、「うどん・ラーメン屋」、「回転すし」に「定食屋」。10年、20年前とそのマップはどのように変遷したのであろうか。郊外に無くて「ニシタチ」にあるもの。「品のいい居酒屋」、「ラウンジ」、「カクテルバー」、「鉄板焼」、「格安居酒屋」、「ビアガーデン・ビアホール」。スケベーなオヤジや血気盛んな若者は「ラウンジ」へ。若い女性やセレブな御婦人は「カクテルバー」へ。同伴は「品のいい居酒屋」へ。粉もの好きや子連れは「鉄板焼」へ。例えば「カクテルバー」は、なるほどどの店も繁盛している。「キーワード」は何ぞや、調査中。つづく。7月30日。
●国会議員の野望(最終目標)は「総理大臣」である。総理大臣になっても「見栄」は残るが、「笑み」が消える。政治家として生まれてきたような豪傑で、ふてぶてしく、しかもユーモアを解せる人材はこの時代、いないのか。7月30日。
●また始まったか、そのまんまな「トップセールス」。そのまんまな「東京通い」の再開だ。内部改革や財政改革はそのまんまな「県庁」。観光客の呼び戻し作戦は、如何様にあるべきか。きのう、山崎街道を車で走った。ここは一ツ葉有料・南道路とシーガイアを連絡する要所だが、街路樹の剪定はなされていないし、子供の背丈までも伸び放題の雑草。東京での「トップセールス」も結構だが、県内隈なく脚を運び、「復興」や「もてなし」の準備が出来ているかを視察して回るのが先決で早急の責務だ。「口蹄疫」前の「そのまんまなおつむ」。諫めよ、側近。田舎の実家の子牛も、5月が競予定だったが、9月まで待機中だぞ。7月29日。
●今日の「第2食」は「○ッ○○一番みそラーメン」だ。丁度昼に親戚の伝(つて)で、おふくろがペットボトルに注いだ「南郷水」が届いていたので、その水を小鍋に入れて作った。こういう極上のインスタントラーメンもいつまで口に入るのか、静々と想った。田舎の神門では、数年前に上水道が引かれたが、今でも家の脇を流れる谷沢の清水を活用している。今日の水はもちろんそれだ。透(澄)水に映る40年以上前の田舎の原風景。小生も歳を取ったもんだ。7月29日。
●先日24日に82歳で亡くなった「一刀斎」こと数学者の森毅氏の名言の一つ。内容は「脳細胞の配線は20年で変わり得る。人生80年、4回は成長して変われる。」の意。人間、日々一生懸命、目標を掲げて努力すれば次の新たな人生が拓けてくるとの意であろうか。数学者ならではの励みになる、分かりやすい箴言だ。今の政治家には到底及ばぬ発信(若者に送るメッセージ)能力だ。7月29日。
●東京では最近、「朝ラーメン」がブレイクしかけている。朝6時から行列の店もある。100%いりこ出汁で、炭水化物がうどん玉から中華麺になっただけのような店もある。朝食の仕度の手間が省け、家人の「遅寝」もOKだ。宮崎も朝6時から開いているうどん屋も少なくなく、お客の多さには驚きだ。「宮崎の朝ラーメン」にも面(麺)喰ってみたいものだ。7月28日。
●折角の休みも、「陽乞い」叶わず。甲子園・県大会決勝は明日に順延。昼はうどん屋へ。この数カ月で本郷界隈には数軒のうどん屋がオープンした。市内にも大手の「○○製麺」なども進出してきた。うどん屋はラーメンに比べ、待ち時間が圧倒的に短いので、急ぎの時は助かる。ラーメン屋の開店ラッシュの次はうどん屋ときた。ラーメン屋の商売敵はラーメン屋でなく、実はうどん屋であった。動物病院の場合も敵(かたき)は動物病院でなく、己自身だ。7月28日。
●今日はちょいと暇をいただき「サンマリン宮崎」へ。71日ぶりの「非常事態制限解除」で、今日はじめて「観客試合」となった第92回全国高校野球選手権宮崎大会。準決勝第一試合は宮崎第一が延長10回6対5で佐土原を降し、第2試合は延岡学園が8対0で宮崎商業に7回コールド勝ちした。第一試合は宮崎市内同士の対戦で観客も多く、しかも延長戦とあって高校野球の醍醐味を堪能できた。日焼け止めが役に立たないくらいの日差しで、明朝の顔と腕の焦げ具合が楽しみだ。明日は「宮崎第一対延岡学園」の試合、今日と同じバックネット裏の特等席での観戦だ。明日は決勝戦、照る照る坊主、照る坊主、あした天気にな~れ・・・てかてか。「てか」はてめえ(手前)の頭・・・てか。写真有。7月27日。
●現代の中小企業の経営者に求められるものベスト5は、①先見力、②情報力、③判断力、④行動力、⑤体力(健康)だという。今の若者を見ていると、大学に入るまでに精を出し尽くし、在学中に根を費やし尽くし、就職時には体力さえも減弱している。「力」は習得して磨かなくてはならない。大学は人生の終着駅ではなく、卒業して就職した時が始発駅で、それも1番線でしかない。7月26日。
●「料理の功は材料が九、料理の腕前が一」。北大路魯山人の詞だ。毎朝自ら市場に出かけ材料を調達し、休みには季節の旬を求めて山野を歩きまわる。今では、信頼の筋から朝どれの鮮魚を仕入れることも可能だ。野菜も午前中収穫したものを夕方から使用できる流通の時代だ。これに手間や金がかかって商売ができないと言うのは、屁理屈で言い訳に過ぎない。1週間も冷蔵庫に眠っていた食材をありとあらゆるケミカル(化学調味料)を使って客に出すようでは、「ニシタチ」から足が遠のくのも致し方あるまい。つづく。7月26日。
●さて、その甲子園の県予選。きょうは準々決勝でベスト4が決まった。Aパートでは2回戦でシード校の都城商を破り、今日は第1シードの日南学園を撃破した「佐土原」が準決勝進出。Bパートでは3回戦で第4シードの日向学院を降し、今日第5シードの宮崎日大を退けてた「宮崎第一」が、Cパートでは今日シード校の宮崎大宮を破った第3シードの「宮崎商」が、残るDパートは今日第2シードの宮崎工を撃沈させた第7シードの「延岡学園」がそれぞれ27日の「準決勝」に駒を進めた。準決勝はノーシード校同士の「佐土原」対「宮崎第一」(27日10時開始)とシード校同士の「宮崎商」対「延岡学園」(同12時半開始)の対戦だ。7月25日。
●27日の午前0時に「口蹄疫非常事態宣言全面解除」と「県内全ての家畜の移動・搬出制限区域の解除」がなされる見通しだ。県民皆が、カウントダウンしたい気持ちであろう。それに伴って、「第92回全国高校野球選手権大会・宮崎大会」の準決勝(27日)と決勝(28日)が「防疫対策を徹底」したうえで通常通りの観客試合が行われることが、今日25日、県高野連から発表された。7月25日。
●4回の採材と3週間という期間。その間、口蹄疫ウイルスを拡散・蔓延させていたことになる。犬や猫の診療も当然、原因の不明な症例や診断がどうしてもつけられない症例がある。他の動物の診療中も、トイレでも風呂でも食事中でも、酒を飲んでいても寝る前も、夜中に起きた時も・・・場所や場合に構わず「その症例」について、ああでもない・こうでもないと悩んでは調べる。これが現場である。3週間は長すぎる。その間、「家畜保健衛生所」の獣医師はどんな生活をしていたのだろうか。所長等御偉方を交えたディスカッションは果たしてどれだけなされていたのだろうか。10年前の記憶が頭を過ぎることは皆無だったのだろうか。・・・・・情けないことだ。第三者委員会による「家畜保健衛生所」の調査が必要である。繰り返すが最悪を想定した危機管理が全くなかった県。誰(獣医師でない素人)が考えても、怠慢の極みであろう。3週間、それは常識では考えられない長さである。つづく。7月25日。
●「文藝春秋」のつづき。A獣医師が関係した水牛牧場で「家畜保健衛生所」が診て検体を採材したのは3月31日と4月14日、4月21日の計3回で、2回目までは口蹄疫の公式発表の前だ。B獣医師が関係した和牛繁殖農家での検体採材は4月9日と4月17日の2回である。口蹄疫と判明するまで「家畜保健衛生所」が現場に足を運んだ回数は計4回、その間3月31日から4月20日までの実に3週間である。つづく。7月25日。