●今日でイチローの背番号と同い年になった。若くて研究に燃えていた頃は40歳まで生きれば良しと思っていたが、いつの間にやらこの歳になってしまった。ついでにもう少し飲んだくれてやるか。10月30日。
●今日の手術は志布志から来院した11歳ワンコの腫瘍摘出術とニャンの避妊。鹿児島や串間、日南、都城などの遠方からの来院は、獣医師冥利に尽きる、嬉しい限りの感謝・感謝だ。3年前まで、手術件数の多い日や難しい手術は診療を終えて夜にやっていた。最近は若い獣医師連中が外来をほぼそつ無くこなしてくれるので、手術に集中でき、より綺麗な仕事が可能だ。手術のストレスが少ないと、何と言っても焼酎が美味い。有難いことだ。10月29日。
●今日も焼酎を喰らった。なぬ、「企業献金解禁」、「蓮坊」と「枝野」の売名そのもので法的根拠や裏付けの全くない「第3弾事業仕分け」の茶番・・・もうまっぴらだ。さようなら、民主党。あんたらの派閥での飲み会も税金。ファッションモデル見たいな煌びやかな衣裳も税金。猿股やモンペで政治をせいやぁ。姫や殿様生活が出来ないからと言って、企業の政治献金という蜜を吸おうなんて、それこそ虫が良過ぎよう。旧・社会党の社会主義と旧・民社党の労組(統合されての現在の連合=日本労働組合総連合会)、自民党の金権慣れ合い、訳の分からない社会民主連合、ごちゃまぜはもうごめんだ。あんたらのまとまらない「おぼっちゃま思想」には付き合いかねる、決別だ。10月27日。
●何代か前の日本医師会会長を務めた武見太郎(1904-1983、医師会長は1957-1982)氏が言っていた言葉。「(医師の集団は)3分の1は学問的にも倫理的にも極めて高い集団、3分の1は全くのノンポリ、そして残りの3分の1は欲張り村の村長さんだ」と嘆いたらしい。獣医もおそらくそれに近いであろうが、「たばる動物病院」の獣医師は最初の3分の1の人間であることを信ずるしかない。10月26日。
●ノーベル化学賞の日本人受賞者2人に数十年遅れの文化勲章と文化功労者のダブル授与。これはいつもながらの鈍間で頓馬な政府の証だな。開いた口どころか、口も開かないことだ。今回も画家がひとりも選ばれなかったのは残念だ。「日本画」などの芸術や伝統工芸を蔑(さげす)む国家は危ういぞ。が、「心房性ナトリウム利尿ペプチド」を世界で初めて発見した宮崎医科大学名誉教授の松尾壽之先生が文化功労者に選ばれたことは快挙で感激だ。若いころ、東京で先生の特別シンポジウムを聴かせてもらったことを思い出した。10月26日。
●しつこいけどもう一言。日本は危ういよ。今日も酔っぱらったもんだ。何でも旨いという人種は無党派だろうか。決まり。10月25日。
●先人の名言をもう一つ。高鍋藩出身で米沢藩主・上杉鷹山(1751-1822)の「なせば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」。「ゆとり世代」もその周囲も「不退転の決意と辛抱と情熱」が必須だ。「ゆとり」の無い親仁の悪戯じゃった、ここらで終了。10月25日。
●会社側も「気長さ・忍耐」が要求されよう。先人の訓え。「やってみせ 言って聞かせて させて見せ 褒めてやらねば 人は動かじ」、「話し合い 耳を傾け 承認し 任せてやらねば 人は育たず」、「やっている 姿を感謝で 見守って 信頼せねば 人は実らず」は山本五十六(1884-1943)・連合艦隊司令長官の名言だ。つづく。10月25日。
●「知識より智慧」。では、智慧はどうして生まれるか。知識は机に坐って本を読めば増えるが、智慧は身体を動かし道具と頭を使わなければ身に着かない。智慧がつくには心身ともに傷つく場合も少なくない。「ゆとり世代」に「智慧」が足りない理由は、家の手伝いをする必要のない「国民全中流」の家庭に生まれ育ち、「核家族化」で祖父母からの智慧の伝承がなされなかった、ことにも起因するであろう。昔は、たとえば校内や運動場の清掃・草刈り・草引きなどは全部生徒でやった。鎌も鍬の類も生徒が皆家から登校時に持参した。当時は「校内暴力」も」いじめ」も無く、中学生が農作業の刃物を使っても自然であった。つづく。10月25日。
●会社にとって有能な人材とは・・・? ①1回見れば次にはできる、②自分で工夫してより効率のよい手法を見いだす、③1言えば10わかる、④部下のマネージメントが上手い、⑤下準備(段取り)を怠らない、⑥我流は慎む・・・。そして何よりも「知識よりも智慧」のある人間だ。偏差値が高い人間が智慧があるとは限らないのは常識だ。つづく。10月25日。
●「ゆとり世代」は「とろい世代」か「気の利かない世代」か・・・もっといろいろありそうだが、「ゆとり教育」にだけ責任があるとは思えない。例えば我々が小中学校の時分の運動会は徒競争も騎馬戦も障害物も・・・何でも一生懸命で入賞旗をもらうと鼻が高かった。団技や体操でも今のようにてんでバラバラではなかった。ところが、近年の運動会では「うちの子供は走るのが遅いので徒競争は止めて欲しい」と訴える親が居るらしい。昔の中学や高校ではテストの成績も学内に掲示されていたが、いつからかそうされなくなった。学業でも運動でも人間に順番や順位を付けることを、なぜか社会が拒絶するようになった。「あいつには、あいつだけには負けたくない」という「競争心」を殺(そ)いだ。今も昔も「社会とは競争」だということを教育が教えるべきである。今から「少子・高齢化社会」の弊害が際立ってくる。子供が増やせないなら、2倍も3倍も社会に貢献できる人材を育むことが出来るはずだ。その方が近道であろう。人口が仮に8千万人でも5千万人でも国として立派にやっていけないことはなかろう。つづく。10月25日。
●「脱ゆとり」は大企業だけの悩みの種ではない。われわれみたいな小会社も同じだ。動物病院や獣医師の仕事も板場さんなどの丁稚と何ら変わらず、見て盗んで覚えて、そして自分で調べて勉強して習得するものだ。何回見せて聞かせても「馬の耳に風」か「馬耳東風」でいつまで経ってもできない。そのうち自分流のことを始める。分からないなら聞くように言うが、ダンマりで、事態は繰り返される。もっと酷いのはきちんと教えても「馬の耳に念仏」か「犬に論語」か「兎に祭文」か「牛に経文」なのは堪忍袋の緒が切れる。長々と説教を垂れても、二つ返事で頷くばかりで、「怒り」を表に現さない。説教なしでは恐らく大成どころか、モノにはならないであろう。その位に深刻な問題だ。雇っても1年間は「脱ゆとりの説教」を覚悟しなければならない時代だ。つづく。10月24日。