●アーチ―・ムーア(1913年12月13日-1998年12月9日)。ジョージ・フォアマン(1949年1月10日-)は1994年11月5日、45歳と9カ月齢で最年長世界ヘビー級の王者となった。その後は1997年11月22日、シャノン・ブリッグスに12R判定負けして引退した。通算成績は81戦76勝68KO5敗であった。しかるにフォアマンのチャンピオン在位の正確な年齢は48歳と10ヶ月と12日齢となる。では冒頭のアーチ―・ムーアはどんなボクサーなのか。彼は1952年12月17日にライトヘビー級のベルトを巻いた後、1960年10月25日に剥奪されるまで守った。となると、46歳と10カ月と12日齢までチャンピオンであったのだ。この度ライトヘビー級の王座を獲得した死刑執行人・ホプキンスは46歳と126日齢なので、あと約6カ月の差がある。さて、今後どうなるやら、注視が必要だ。なんじゃこりゃと考えている人に、この内容はボクシングで最長何歳でチャンピオンになり、最長何歳までチャンピオンに君臨したかという話なのだが、通(?)には、いやいや五十路を超えた親仁には興味津津。6月16日。
●「メルトダウン」から「メルトスルー」、そして今や「チャイナシンドローム」? セシウム137の環境汚染レベルは「チェルノブイリ」。1基あたり100トンのウランが格納容器を貫通し、その下のコンクリート壁を高熱で溶かし、またその下の地面に達し、地下水に接触している可能性に言及(京都大学准教授)。臨界に達したウランは2000度を超えるから、鋼鉄性の原子炉や格納容器は優に溶ける(鋼鉄は1400~1500度で溶ける)。メルトダウンは制御棒が失われること。これに注水による冷却が出来なければ、ウランの燃料棒は燃え続け、放射能は放出し放題だ。まさしくチャイナシンドローム状態だ。放射能汚染が高い地域は数十年~100年は住めない。これが今朝のワイドショーのショッキングな内容だ。6月16日。
●昭和12年10月5日の「東京日日新聞」(現・毎日新聞)の社会面に、「残しゆく愛犬の上にもこまごまと心遣ひ」の見出し。内容は戦死したある大尉の未亡人(26歳)が夫の後を追って殉死した際の義兄へ宛てた「遺書」であり、「遺書全文」が掲載されている。「・・・遺骨葬儀等何もなし得ず申訳ございません、犬、何かと可愛がって下さいませ、ゼリーを特に・・・・・・あれは私どもの一生をよく知ってをりますゆゑ、・・・」(原文のまま)。ことごとく涙腺が緩む文面だが、当時、思いが愛犬にまで及んでいることに甚だ感銘を受けた。昭和10年10月16日の同じく社会面には「尋ね犬 セパード種牡生後九ヶ月毛○銀色○大きい方発見者へ薄謝を呈す」(原文ままだが○は読解不可)。約75年前も今も愛犬家の犬を思う気持ちに変わりは無いという事実に感激した。写真有。※1つ目の○は菲(うすい)? ※2つ目の○は體(からだ)と解読。6月15日。
●きょうは、関東からの来客を連れて綾へ。先ずは「ほんものセンター」で野菜をどっと買い込み、「酒泉の杜」のグラス工房で土産物を求め、最後は焼酎をゲット。帰路、在りし日の児玉清の「人生相談」に傾聴し、小腹は「王林」(木脇)の葱ラーメン(堅麺)で満たす。久しの酒泉の杜であったが、グラス工房で働く工芸家の卵(いや失礼、雛???)さん達の立ち舞いに釘付けになった。靴磨きもだが、親仁はこういう光景が好きだな。写真有。6月15日。
●バーナード・ホプキンス(1965~)が46歳と4カ月でライト・ヘビー級のチャンピオン、・・・の右スマッシュ。相手は28歳の武蔵(むなし)かな、ジョン・パスカル(1982~)の虚しさか。ジョージ・フォアマン(1949~)が45歳と9ヶ月で、1994年に撃って建てた、・・・右ショート・ストレート。いつの間にか流れて経った17年の歳月。オスカー・デ・ラ・ホーヤ、ロイ・ジョーンズら連合艦隊総司令官級を撃ち負かし、世界の各団体の兵ども皆が恐れ、挑戦者すらいない時代があった死刑執行人・ホプキンス、・・・の節制と自己抑制(管理)と不屈の精神と不断の努力が成し得た偉業。人生、ブラフだけでも生(い)けない、燻しに燻された「いぶしで銅」かなで逝きたいもんだ。きのうから今日にかけてホプキンスを3かい回した。今夜も睡眠導入剤だ。フォアマンはボクシングの神様の牧師ングだな。このギャグが分かるヒトはきょうもあすも、4万6千日もエキサイト!!!だな。6月15日。
●光明。福島原発の汚染水処理でセシウム濃度が3000分の1に。光明が見えてきた。明日は休み。今日も呑んだが○○の光明。午前様が遠のいたな、歳だな、親仁もオジンだな、先が知れてると言う事か、肝臓がビン敏な時代があったな、マイナスに遠いまだふさふさな昭和50年代か。人生(陳せい)には鎮静(ちんせい)剤が必要な時期もあったな。バーナード・ホプキンス万歳、デラホーヤ万歳、パッキャオ万歳。6月14日。
●きょうは昼飯を兼ねて昼前に外出。黴雨の雨間、久しのプチ・サイクリングだが、タイヤの空気が減っていたので充填してからの出発。先ずは書店で週刊誌などを物色し、数冊をレジに差し出すと、店員さんが「この3冊は明日入りますから」と告げて、他とは離した。彼女の本意が「明日には新しいものが届くので今日、わざわざ買う必要はない・・・」であることをすんなり悟った。彼女はその3冊を外してレジを打ち始めたので成り行きに任せたが、「最近はテレビよりも週刊誌の方が信用できる」ことを言い残し、せめてもの抵抗とした。昼飯の店に行く途中、「商売気がないな」と思いながらペダルを漕いだ。週刊誌は、新聞やテレビでは見かけない漢字が散見されて、我が無知を知らされる。そして、何よりも社会や人間の裏街道が垣間見れる。書きものは、1週間だけの命ではないのだな。6月14日。
●便利な時代。きのう、拙庭を蚊に刺されながら散策中、蜻蛉を発見。今朝、品種をネットで調査するに、ノシメトンボの成熟した雌と断定。類似種にコノシメトンボがあるようで、見分けのポイントは胸部の斑紋のようだ。まさしく居ながらにしての「鑑定」。ファーブル(1823-1915)や牧野富太郎(1862-1957)、熊田千佳慕(1911-2009)が生きていたら、怒られるだろうに。写真有。余談だが、自分の好きなことでストレスのかからないことを生業としている人間は、画家がそうであるように、総じて長生きだな。6月14日。
●では、「母の日」とは・・・。日本やアメリカでは5月の第2日曜日に祝うが、その起源や日付は国によって異なる。例えば、アイルランドとイギリスでは「奉公中の子ども達が年に1度、教会で母親に面会できる。17世紀まで遡る。・・・」。日本では『1931年(昭和6年)に、大日本連合婦人会を結成したのを機に、皇后(香淳皇后)の誕生日である3月6日(地久節)を母の日としたが、1937年(昭和12年)5月8日に、第1回「森永母の日大会」(森永母を讃へる会主催、母の日中央委員会協賛)が豊島園で開催された後、1949年(昭和24年)ごろからアメリカに倣って5月の第2日曜日に行われるようになた。母の日にはカーネーションなどを贈るのが一般的。』(Wikipedia)。つづく。6月13日。
●19日は「父の日」。父に感謝を表す日で、日本などでは6月の第3日曜日と決まっている。Wikipediaによると、「1909年にアメリカ・ワシントン州スポケーンのソノラ・スマート・ドッドが、彼女を男手1つで育ててくれた父を讃えて、教会の牧師にお願いして父の誕生月である6月に礼拝をしてもらった・・・・・」ことが起源らしい。国によって月が異なるが、「父の日」がある国は平和の証か・・・。下の写真は「父の日」に求めた親父が生まれた年月日の「東京日日新聞」(現・毎日新聞)の社会面記事。当時の1面は広告であったとのこと。写真は社会面。つづく。6月13日。
●聞く側、選ぶ側の国民も、政治家(次期首相)の多少の失言や「若気の至り」は大目に見てあげ、「身から出た錆」にさせぬような寛大な心が要求される。特にマスコミと世の中知らずの評論家は、有能政治家を潰している張本人だ。イタリア(シルヴィオ・ベルルスコーニ、1936年生まれ)やフランス(ニコラ・サルコジ、1955年生まれ)の元首のあの「図々しさ」を見習うべし。「非の打ちどころがない」政治家なんぞ面白みに著しく欠ける。※「100円」に記載されているのは「身から出た錆」のみ。6月13日。
●「口は禍の門」。「口が動けば手が止む」。「口自慢の仕事下手」。「口と財布は締めるが得」。「口に蜜あり、腹に剣あり」。「口は閉じておけ、目は開けておけ」。「口も八丁、手も八丁」。これらは100円ショップで入手した「ダイソーミニ辞典シリーズ・ことわざ辞典」から。これだけ世界が変われば昔の諺は死語も多い。リーダーのいない国、リーダーを生めない国、リーダーを養成できない国家、ニッポン。アメリカの大統領選は2年も遊説して、いや演説しながら国家論が熟成されるのであろう。そこへきてわが国の政治家の発言・発信力の無さ。「口では大阪の城も建つ」ということわざのあることを「100円」に教えてもらった。「嘘八百」でも「嘘も方便」でも構わないから、発言すれば「嘘から出た実」になるのだ。次期総理よ、黙るな。※「嘘八百」は「100円」に記載なし。6月12日。