●今週は団扇の話がまだ中途だ。「心許りの品」は「野田岩」から取り寄せた蒲焼に付いていた団扇。写真はそれだが、扇部の骨も柄も竹で、もちろん地紙である。絵柄はなんと日本画家の石踊達哉氏。なんとも「粋、活き、意気」を感じるではないか。煽いで見て、プラスチック製とは涼しげさが違うな。9月3日。
●大ぶりの泥鰌は開いて頭と内臓を取り、小ぶりなものはそのままで、葱や牛蒡を具に割下で煮て卵で閉じるのが「柳川鍋」(※天保時代、骨抜き泥鰌を売っていた店の屋号が「柳川」で、名の由来はこれから)。「泥鰌鍋」は卵を使わない。「泥鰌内閣」の顔触れが決定。泥鰌が鯰の仲間なら敬遠もするが、鯉の親戚ならば泥をとことん吐かせて喰らってもよろしいか。それにしても野田の大将が仕込んだ泥鰌鍋の具は数だけ多くて、本場産が見当たらないな。ま~、そう腐さないでしばらくは見過ごすか。なにせ、割下の醤油は千葉が本場の「野田」なのだから。このギャグはまだテレビでも発せられてないな。9月2日。
●泥鰌はコイ目ドジョウ科に分類されるというからには「鯉」の仲間だな。「雑食性で、ユスリカの幼虫などを主に摂食する。体は細長い円筒形で、全長は10-15cm。口ひげは上顎に3対下顎2対で合計10本ある。このひげには味蕾があり、食物を探すのに使われる。えらで呼吸するほか、腸で空気呼吸も行う。・・・・まれに「ヒドジョウ(緋泥鰌)」と呼ばれるオレンジ一色の白変種もあり、観賞魚として商業流通する。」(Wikipedia)。つづく。9月2日。
●泥鰌と言えば「泥鰌鍋」。小生は、そうだな~、ちゃんとした物は東京で1度しか喰らったことがないな。泥鰌鍋なら「駒形どぜう」で、創業は1801年というから筋金入りだ。初代越後屋助七が浅草駒形に開店したのが祖で、現在六代目。「どぜう」はもともと「どぢやう」もしくは「どじやう」が正しい表記だが、助七の発案で「どぜう」となった。文化3年の江戸の大火で店が類焼し、「どぢやう」の四文字では縁起が悪いとの考えから、看板屋の「撞木屋仙吉」に頼んで奇数文字の「どぜう」とした。これが評判を呼び店が繁盛した・・・・・(「駒形どぜう」のホームページより)。つづく。9月2日。
●そうだな~、幼小の頃はそこらの用水路(田舎では井手と言ったな)に泥鰌は沢山いたな。鰻針(鰻捕り)の餌にしたもんだ。泥鰌は泥臭くて食えないが(泥抜きをすればよいのだろうが・・・)、最近の養殖泥鰌は綺麗な水で餌も良質らしい。泥鰌について調べてみたいが、蓮舫氏が入閣したようじゃ、泥臭いどころか、キナ臭い内閣だな。早くも失望だな。つづく。9月2日。
●森伊蔵→日南娘→金の露→伊佐美→月の中。昨夜の焼酎バー・「ブルー ツリ―」でのことだ。久しぶりで胃袋も脳味噌も講釈も大喜び。肝臓君は悲鳴だ。ニシタチの立ち呑みバーのオーナーも来店していたぞよ。明日より長月の、8月31日。
●「どじょう内閣」が今日誕生! 「どじょうが金魚のまねをした時、にせものになるんです」は詩人・相田みつをのもの。「市民運動家が民主主義政治を実践しようとした時、それは国を破壊するのです」。鳶が鷹を生むとしたら、泥鰌が金魚になっても何ら不思議でもないが、イデオロギーが違い過ぎる輩の集団である今の民主党ではどうやっても短命だな。あのナベツネこと渡邉恒雄氏も学生時代は日本共産党に入党していたというから、人間のイデオロギーなんてのは、コロコロと利己主義的に変わるもんだな。「柳の下に、反りが合わない鯰のような泥鰌が少なくとも1匹、他にも柔道家などの小泥鰌がウヨウヨしているのだから・・・・・」・・・無理だろう。8月30日。
●「団扇」を調べるとこれまた奥が深い。世界では古代中国の記録や古代エジプトの壁画に見られる。日本では弥生、古墳時代から出土する木製品である。本来は送風の道具だが、貴族社会では権威の象徴や古墳祭祀にかかわる威儀行列の道具として用いられた。次の飛鳥・奈良・平安・鎌倉時代の中世には、公家や役人、僧侶などで持て囃された豪華なものの他に、庶民にも軽くて利便性を優先したものへと変遷した。室町時代に現在の形状になった。戦国時代以降には漆塗りなども登場したが、薄い鉄板の軍配団扇も実戦で使用された。江戸時代には益々市民に広まり、さらに実用化された。そして団扇産地も生まれた。図柄も好みや流行が反映され、趣味の範疇へと発展した。明治の近代では商用化され、今のように宣伝・広告の媒体として利用されるようになる。美術品としての側面もあり、今もって外国人に人気がある。戦後は人気アイドルのブロマイド化もあった。昭和40年代には原料の竹不足から、プラスチックへと素材が変わった。つづく。8月29日。
●「さしは」(サシバ)とは「外出する貴人に従者がさしかけて顔をおおうもの。天皇が即位・朝賀などの大礼に高御座(たかみくら)に出御のとき、女嬬が左右からさしかざした。鷹の羽・薄絹などで軍配団扇(うちわ)の形に作り、1丈~1丈2尺の長柄をつけた。・・・・・」(広辞苑)。この小さな「さしは」(=は)にルーツをもつのが団扇だが、それを用いてハエや蚊などの害を打ち払うことから「打つは」→「うちわ」となったという。病魔などを撃払う魔除けの意味もあった。「団扇」(うちわ、だんせん)は中国由来の熟語で、「扇」は観音開きの戸を開ける際に起る風に由来するとする説もあり、「団」は丸い。つづく。8月29日。
●今日は何の日だ。異星の、異次元の、別世界での総理大臣が決まる日だ。最も右寄りの剛腕が最も左寄りの政策を掲げる摩訶不思議。中連立的政界再編がなければ、分裂か、解散か・・・・・。政策論争が総じて○時間。アメリカ大統領選は2年間の遊説。大震災後、日本が変わる、変えられる筈だったのに、逆行している。呆れたこった。8月29日。
●取り寄せ物に意外なものが入っていた。「心ばかりの」団扇(うちわ)だ。東京人のすることは、粋で憎いね~。写真有。つづく。8月28日。