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今週の親仁ギャグ・2013年7月28日(日)~8月3日(土)

●旭日旗は復活し、その扱いは「国旗の日章旗に準ずる」といっても、スポーツの祭典で旭日旗が靡いたなら、親仁は違和感を覚えるぞ。天皇・皇族の一般参賀でも振られる旗は日の丸(日章旗)のみで旭日旗は皆無である。オリンピック応援オジサンの山田直稔氏も日の丸。祝事でも旭日旗は見かけない。天皇(皇室)の巡幸でも見ない気がする。身近では宮崎空港の敷地内に日章旗と旭日旗が並んで掲揚されている。われわれ戦後生まれの世代は、日本の戦争責任論がまだまだ甚だしく、小学校でもそれとなく反戦教育と軍国主義絶対悪教育を受けていた。今でも旭日旗を見ると違和感を感じるのは愛国精神の乏しさか・・・何か。とても意気高揚とはならない。いずれにしても、スポーツ応援で旭日旗を舞わせるのは如何なものか。(少なからず)日章旗に嫌悪感を示す外国人がいるとしても、おおっぴらに抗議を起こす人種はあまりいないであろう。少なくとも日の丸がある以上、相手国にとって「侵略旗」とされる旗(もの)をわざわざ持ち込まなくてもよさそうに・・・という結論だ(もちろん親仁の私観)。ついでで最後に一言。昔(どのくらい前なのか要勉強)の祝祭日には各家の玄関軒に小さな日の丸が掛けられた。最近では殆ど見かけなくなったが、「日本国に居住する感謝と永劫の発展を期して」の掲揚をしては如何なものか。もはや、だれも「右がかりの人」の住む家とは想わないだろう。スポーツ応援での「旭日旗」使用に関して、国も暗黙の了解と言うか、その「不使用」を優しく穏かに勧告すべきではなかろうか。8月2日。

●旭日旗は復活した。そしてその扱いは「国旗の日章旗に準ずる」。自衛隊以外にも民間では祝事やスポーツ応援で掲げ振られる。一方のハーケンクロイツは、ヒットラー率いるナチスによって1935~1945年の間のみ使用され、現在はドイツ国内での使用が禁止されている。今回日韓サッカー戦で舞った旭日旗は1870年(明治3年)に大日本帝国陸軍旗として採用されたものだ。韓国併合が1910年であり(韓国統監の伊藤博文がハルビンで安重根に暗殺されたのは1909年)、西郷隆盛の征韓論政変も1873年(明治6年)であるから、1870年の旭日旗があくまでも大陸侵略を想定したものではないかもしれないが、それ以後の大陸侵略で軍旗(大陸側からすれば「侵略旗」)として使用されたのは間違いない。(西郷隆盛の主張は出兵ではなく開国を勧めるために遣韓使節として自らが朝鮮に赴く、という「遣韓論」という説もあり)。幕末から明治新政府の発足当初にかけては、大陸に侵攻するよりも外国の侵略を防ぐために先ずは国内の(陸)軍を増強しようとする旨が大きかったであろう・・・・・が、当時の国学者や水戸学の一部、そして吉田松陰らの思想に朝鮮進出があり、その元は古代日本が朝鮮半島に支配権を持っていたと『古事記』や『日本書紀』に記述されていることに拠る。朝鮮進出が尊王攘夷運動の一環をなしていたということである。征韓論に屈した西郷は結局、日本有史以来の内戦である西南戦争(1877年2月~同年9月)を起こして城山に果てる(1877年9月24日、享年51歳)が、時代は皮肉にも彼の唱えた征韓論の方向へ奔った。つづく。8月2日。

●ハーケンクロイツはヒットラー率いるナチスドイツの国旗、シンボルとして1935年に正式採用され、第二次世界大戦終結の1945年まで使用された。それ以前のドイツでは正式使用しておらず、ナチスに限ってのことなので現在の「使用禁止」に至っているのか。本来、多くの世界の国旗や軍旗は神聖なものであり、日本も明治新政府から終戦までそれらは天皇そのものであった。それゆえ日の丸や旭日旗の前では最敬礼する必要があった。日の丸(日章旗)について調べてみようか。国旗などに太陽が象られることは世界中でよく見られる。その中でも「白地に赤く」の日の丸はシンプルで鮮やかで美しい。この原形は大化の改新(645年)以後というが、今の形になったのは源平合戦で勝利した白旗の源氏がその白地に赤丸を標したとされる。(平氏は官軍を称し、当時御旗の色であった赤旗を掲げて戦った)。日の丸が事実上の国旗されたのは1870年(明治3年)2月27日である。実際は商船規則に「御國旗」として規定され、徳川幕府による「御国総標」を継承し、日本船の目印として採用されたのが元である。同じく「旭日旗」が1879年5月15日に「陸軍御國旗」として決定した。そして1999年、「国旗国歌法」が成立し、日の丸が国旗として正式決定した。つづく。8月2日。

●韓国の横断幕騒動で、同じ試合で韓国側のサポーターが「歴史を忘れた国に未来はない」の横断幕や安重根の肖像プリント布を掲げる前に、日本人サポーターが旭日旗を振っていたとの韓国側報道。旭日旗に刺戟されての報復の横断幕という。韓国や中国にとっての旭日旗は、大日本帝国軍による侵略の象徴旗(シンボル)であるから、本能的に忌み嫌うのも分らないではない。ナチスの国旗であるハーケンクロイツ(逆鉤十字)を見た日本人が抱く違和感以上の生理的憤怒も十分理解できよう。では、現在のドイツ連邦軍の軍用機の機体や軍用車両の車体に標されたバルケンクロイツ(黒十字)を見てハ―ケンクロイツが連想されないか。その両者の何処が違うのか、説明できる講釈師はいるだろうか。実際、両者はヒットラー率いるナチスで同時に使用されており、バルケンクロイツは現在も国籍標識として活躍している。その他でも、イギリスの国旗をはじめ旭日旗に似かよったものは少なくない。ベトナム戦争で30万人以上を派兵した韓国も、当然ながら自国のシンボルとして国旗と軍旗を掲げて戦った。国旗や軍旗には日本に限らず世界共通の歴史がある。「ハーケンクロイツ」の印は古来よりヒンドゥー教や仏教、西洋などで幸運の印として使用されていた。日本でも家紋や地図記号(左まんじ)が使われて来た。問題は、ドイツナチス党が1920年に党章や党旗に用い、1935年にはドイツ国旗に採用した。色違いのほぼ同様のシンボルをフィンランドは1919-1944年の間、ラトビアは1918年-1940年の間、戦間期の軍用機国籍マークとした。ソビエト連邦でもソ連型社会主義をあらわすシンボルとした。反ナチ意識高揚のためのみ「ハーケンクロイツ」使用を認め、それ以外は禁止することがEUを中心に拡大しつつあるが、ヒンドゥー教は「元来平和のシンボルとして使用されて来た」として非難するなど・・・世界はサマザマだつづく。8月1日。

●わりと簡単平易な漢字を読めない元総理で現副総理兼財務相の麻生太郎氏が「ナチスの手口」発言。「ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね」(29日の東京都内のシンポジウムで「憲法改正」に関しての発言)。本意は、(自民党圧勝の後の)「狂騒、狂乱の中で決めてほしくない。落ち着いた世論の上に成し遂げるべきものだ」であるが、引合の例示が悪かった。調子に乗るとはこのことか、木に登ってはいけない豚=頓馬な豚の発言だ。8月1日。

●「フクイチの高濃度汚染水の海への流出」はかなり前から生じていた可能性が高い。環境省原子力規制委員会(委員長は田中俊一氏)の指導不徹底と東電の不誠実。内閣府原子力委員会(委員長は近藤駿介氏)はどんな仕事(役割)をしているか不明不詳。汚染水漏(流)出の正式公表も参院選後。これら3者に官邸を加えた原発推進と隠蔽集団はグルだ。不信の念は増すばかりである。東海地震の津波の大標的である浜岡原発も再稼働申請に前向きで準備に余念がない。到底、考え及ばないことだ。7月29日。

●東アジアカップ男子日韓戦での「歴史を忘れた民族に未来はない」との横断幕。ロシアの諺に「歴史を忘れる者は片目を失い、歴史に固執する者は両目を失う」。「歴史を忘れる者は未来なく、歴史に異様に固執する者は未来永劫世界の一流になれない」。固執(過去の遺恨の反復出現)としつこい(執念深い)にも程がある。7月29日。

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