●下記のように「小村寿太郎は吉村昭のペンによって蘇った」と言っても過言でない。坂本竜馬が司馬遼太郎の「龍馬がゆく」で再興したように・・・である。宮崎の県民さん、寿太郎侯の偉大さをもっともっと知ろうではありませぬか。ポーツマス条約が合意締結され、日露の全権団がシャンペンで乾杯をしようとした直前の小村らの会話・・・「ウイッテがにこやかな表情で小村に近づき、フランス語で、『ポーツマスにはいつまで滞在なされますか?』と、問うた。傍にいた随員のナボコフが英訳しようとすると、小村は、『今日すぐにボストンに向い、ニューヨークに行く予定です』と、答えた。ウイッテや随員たちは、一瞬、呆気にとられて小村の顔を見つめた。ウイッテの問いに即座に答えた小村の言葉は、流暢なフランス語であった。ウイッテたちは、小村がフランス語に通じながら会議中にそれをかくしていたことに初めて気づき、驚いたようにしばらくの間口をつぐんでいた。」(吉村昭著「ポーツマスの旗」pp289-290)。12月21日。
●「親仁ギャグ」で「小村寿太郎」を検索すると「7件」がヒットする。2013年9月12日の文章を再記させると・・・・・「古今東西を問わず、「長」や「賞」の付くものを欲しがる人間は多くとも、それを拒むひとは稀だ。こともあろうに年にひとりか数人しか選ばれないともなれば尚更である。洋画家の熊谷守一(1880-1977)は文化勲章を拒否。藤田嗣治(レオナルド藤田・1886-1968)も文化勲章打診を蹴ったという。1998年に創設された「司馬遼太郎賞」を蹴った男がいる。それも第一回の話だ。「記録文学」のジャンルを開拓した、あの「ポーツマスの旗」の著者の吉村昭(1927-2006)である。吉村氏は史実に徹した人で、坂本竜馬(1835-1867)や秋山真之(1868-1918)を歴史の表舞台に担ぎ出した司馬遼太郎(1923-1996)とはその手法にかなりの隔たりがある。「ポーツマスの旗」は宮崎の「郷土の偉人」である小村寿太郎に焦点をあてた作品である。最近出版された「吉村昭が伝えたかったこと」(文芸春秋編・文春文庫・2013年8月)のなかに取材の裏話がある。「・・・たとえば日露戦争のときの外務大臣に小村寿太郎という人がいたんですね。この人はポーツマス条約を締結するときに日露講和というものをやりましたが、この人のふるさとの宮崎県日南市へ行きましても、まったく何の資料もない。ところが、あの人が着ていたフロックコートだけは見せてもらったんです。小村寿太郎という人は身長が一四三センチくらいだったそうで、その背丈の男の人のフロックコートというと、何か七五三の男の子が着るような感じでした(笑)。資料としてはフロックコートが一つあるだけだったんですが、これでは小説を書けないですよね。でも、歴史的資料を集めるというのはそういうようなものなんです。私が小説を書きましたら、その後、日南市に小村寿太郎記念館という立派な施設ができたんですけれどもね。」とある(p33)。その他にも「吉村昭さんが惹かれた十人」の一人としてpp341~343に小村寿太郎(1855-1911)翁に関した記述がある。吉村昭の作品を読むと、何故に司馬遼太郎賞を頂戴しなかったのかが分る。「俺のはあんたのようないい加減な取材や考証じゃない」と言わんばかりだ。吉村氏の業績が司馬遼太郎賞の辞退うんぬんで過小評価されることはいくらもないが、宮崎にとって「ポーツマスの旗」はありがたいことなのだ。9月12日。」。つづく。12月21日。
●きのうの”みやにち「窓」”に掲載された親仁の意見!!! 「来年の大河ドラマ「軍師官兵衛」の主人公は、豊臣秀吉の参謀、黒田如水である。官兵衛ゆかりの地である姫路や中津、福岡などは師の智謀に負けじと策を練り、観光浮揚に懸命だ。これらの関連都市は5年も前から「NHK大河ドラマを誘致する会」を設立して宣伝活動を展開したという。わが県で大河ドラマの主人公になりえる英傑と言えば、小村寿太郎をおいてあるまい。寿太郎侯は陸奥宗光、吉田茂と並び称される歴代外務大臣3傑のひとり。侯の生涯は吉村昭著「ポーツマスの旗」(新潮文庫)に詳しく、日英同盟とポーツマス条約締結の偉業の反面、私生活は波乱万丈であった。2015年の大河ドラマも吉田松陰の妹で久坂玄瑞の妻となった文を主人公にした「花燃ゆ」に決定している。隣の熊本もすでに加藤清正公を宣伝中である。外交能力が問われる当世、侯の手腕をもって日本も宮崎も元気にしてもらおう。今こそ、県民を挙げての誘致運動を。」。つづく。12月20日。
●それにしてもの不可思議、摩訶不思議なのが猪瀬知事の証言場である「都議会総務委員会の集中審議」で猪瀬氏の背中を見て居並び座る事務方の面面。1日数時間を何日も二転三転の「虚」(嘘?)の証言を聞きながら過ごす。「咳払い」ひとつ出さない公務員根性も大したもんだ。いまさら「バカヤロー」なんて怒鳴られる訳もないだろうに、何十人もが定則とは言え、こんな浪費無駄この上ない委員会に雁首を揃えているなんて・・・暇なのか・・・仕事がないのか・・・恐れ入りまする。12月19日。
●それにしても見っとも無い「みんなの党」の分会?分解?分裂?騒ぎ。「結いの党」の党名もダサいの極み。「吉」が「冬」になれば「終の党」。小人の喜美さんよ、負け犬の遠吠えは見っとも無いったらありゃしない。「去(出)る者、追うべからず」の金言。今回の徳州会事件に関連したのかしないのか・・・診療報酬の引き下げ。(強力な支持団体である医師会を念頭に)政府は今まで診療報酬アップを目指してきたが、急転直下、マイナスと発表し大臣折衝へ。徳州会の唯一の「功」と言えるか??? 12月19日。
●ようやく猪瀬都知事が辞任。高村正彦副総裁が「(早々に辞任しなければ)東京オリンピック招致の勲章に泥がぬられる」と、なんとも胡散臭い発言。賄賂の工面方法まで指南したかの疑いがある石原前都知事との直接面談。「このままじゃ(辞任しなければ)俺にまでとばっちりがきて顔(業績)に泥がぬられる・・・」と、言ったか言わずか・・・多分に辞任勧告をしたのであろう。日本全土に蔓延る徳州会のメガ病院と関連施設。都だけでなく地方議員も国会議員にもどんな色の賄賂が飛び交っていたのやら・・・いるのやら。同会への補助金が公正な手続きで処理されたかどうか、一度大掃除が必要だな。12月18日。