●ドイツ軍を調べた(というよりWikipediaそのまま)◎「1949年に独立したドイツ連邦共和国、すなわちかつての西ドイツと現在のドイツのドイツ軍の総称。1955年の主権回復宣言後に再軍備を行い、連邦軍が編成された。英語では “German Armed Forces 1955-” と表現される。ドイツ連邦軍はプロイセン軍、ドイツ国防軍ほか過去のドイツの軍隊の後継組織ではなく、これらからは断絶した新たな軍隊とされている。なお、現在のドイツ連邦軍は戦力の多くをNATOに提供しており、ドイツの首相および国防相はNATO供出のドイツ連邦軍に対する指揮権を持たない。この事実は、過去2度に渡る戦火の発端としてのドイツ、また強力な軍であるドイツ軍に対しての恐れの現れでもある。ドイツ国内においては、ドイツ連邦軍の指揮権が外国人に握られていることに対しての反発も少なからず存在している」。参考になるな。5月16日。
●日清戦争、日露戦争、韓国併合、日中戦争、そして太平洋戦争・・・それらの総括。ナショナリズムに偏らない「愛国主義」の教育。アメリカの戦争に巻き込まれる可能性。日本がテロの標的になる危険性。尖閣は日本の領土であるから「グレーゾーン」ではなく、仮に中国人の武装漁民が尖閣に上陸したとしたら速やかに奪還するすべきであって、当然ながらその方法は自衛隊が出動すべきであろう。いろいろ考えるに公明党の主張のように個別的自衛権と警察権で片付く問題であろう。安倍ちゃんの顔を立てるかたちで結着しそうな気がするが・・・。平和ボケ病魔を克服するのを「戦争」に頼ってはなるまい。5月16日。
●前にも引用したが幕末まで日本が植民地化されなかった理由がある。「サムライ、ハラキリといった言葉がいまなお世界語としてつかわれ、日本人に対する一種の畏敬感、ときに恐怖感をおこさせる印象をもたせたのは、このときからである。・・・当時、同時期に、隣国のシナが、英国の武力を背景とした植民地政策のために、国家の体をなさぬまでに料理され、他方、ロシアも、領土的野心を露骨にみせはじめている。もし攘夷的気概が天下に満ちなかったならば、日本はどうなっているかわからなかったであろう。列強が、日本に対して、シナとはちがう扱いをしはじめたのは、一つには、サムライとの陸戦をおそれた。艦砲射撃ならべつとして、長期の陸戦には勝ち目はないとみた。」(司馬遼太郎「竜馬がゆく三」p136)。日本が世界の他国のように植民地化されなかったのは、欧米列強が武士の勇ましさ「大和魂」を畏れたのに間違いなさそうだ。それからすれば、今の日本が他国に軽侮されないような精神構造を再構築する必要がある。他国が日本を攻撃してきたその時、日本の自衛隊は交戦して討ち負かすことがげきるのか・・・「大和魂」は死んでいないか。われわれ一般人もその覚悟が廃れてはいないか。外国に自衛隊を送って他国民に兵器を向け敵をつくるのがはたして国民の生命を守ることなのか。先の大戦の総括もせずして外国に兵を送ることがはたして国民を納得させうるか・・・甚だ疑問だ。つづく。5月16日。
●安倍ちゃんの集団的自衛権行使の「基本的方向性」の会見。ちょいとじゃなく大いに説得力に欠けるな。今日は折しも沖縄本土復帰記念日。1972年の今日0時に発効された。しきりに「平和」を連発。この日を意識した会見かとも勘繰りたくなる。この程度の説明じゃ納得できないな。国会を延長してきちんと議論することが必須だろう・・・筋というものだ。とても議会制民主主義とは思えない。5月15日。
●集団的自衛権を容認するということは、①アメリカへの忠順性を増すこと、②その結果自衛隊員が地球の裏側まで行って兵器を「敵」に向ける、③自衛隊員が死に直面しなければならない、④現在友好である国に対しても世界的に(日本が)敵視される可能性が生まれる(アメリカの仲間はすべて敵)、⑤テロの標的になる(島国日本は地学的にテロ防衛しにくい)、⑥太平洋戦争開戦時のようにエネルギー(資源)孤立国になる・・・そして安倍ちゃんは、先ずは①アメリカに従順のそぶりをして、②ゆくゆくはアメリカからの「独立宣言」をし、③戦争への手はずを整える・・・そんな悪臭強い(キナ臭い)予感を覚えるのは親仁だけ・・・。5月14日。
●母方祖父は岸信介元総理で大叔父の佐藤栄作も元総理。二人は兄弟だ。岸元総理は東条内閣の商工大臣として戦中、満州でなにやら怪しげな商い(行動)をしていたともいう。戦後A級戦犯となったが東条英機元首相ら例の7人が巣鴨で絞首刑される(今の天皇の誕生日にわざわざあわせ執行したのが1948年12月23日)となぜかその翌日(12月24日)に釈放され、その後CIAから支援を受けて結果的に半ばアメリカの傀儡政権と化した。佐藤首相も彼の「西山事件」で周知となったように密約でアメリカに加担し、日本が不利益をこうむった・・・歴史がある。多分に、安倍ちゃんは彼らふたりから、そして父の亡き晋太郎氏しからも「日本自立論」や「反米思想」を念仏のように、ことあるごとに聞かされていたのだろう。今の安倍ちゃんの思考回路は彼らが直に味わった屈辱をどうしても晴らしたい一心のようだ。集団的自衛権の解釈変更に対する強硬姿勢は、そうでもないかぎりあれほど執念化しないであろう。つづく。5月13日。
●「美味しんぼ」騒動、韓国旅客船沈没事故・・・・・それに地震も・・・国や自治体、それに大企業(財閥)の言い分を頭から信用しないほうがいいな。若い時から何でも自分で調べ上げる能力(術=すべ)と判断力を身につけることだな。最終的にはそういった類の巨物に頼らず自分を信じるしかないのだな。あとで何が起ころうと彼ら巨物は大したこと(保障)なんてしてくれないということを、胆に銘じなくては駄目だ。自分の命は自分で守るしかないのだ。5月13日。
●竜馬は幕末の「宮本武蔵」級の剣豪であったことを、その最後に書き忘れていた。竜馬が通い免許皆伝となった道場は、かの千葉周作(神田お玉ヶ池)の弟の千葉貞吉が開いている、同じ北辰一刀流の桶町千葉道場であった。兄弟同一門といったところだろう。当時の流行道場は、「位は桃井」、「技は千葉」、「力は斎藤」といわれ、桃井春蔵道場(京橋アサリ河岸)の塾頭が武市半平太であり、斎藤弥九郎道場(麹町・神道無念流)の塾頭が桂小五郎であり、千葉道場(神田お玉ヶ池・桶町)の塾頭が竜馬であった。※千葉周作(1793-1856)は竜馬が脱藩して江戸へ行った時、既に他界(63歳)しており、桶町のほうが格上だった。※武市半平太(1829-1865)は竜馬と同じ土佐の郷士であり、土佐勤王党を結成した。剣客で竜馬の親友でもあり、乙女姉さんは彼にほの字であったとも。5月13日。
●「坂本竜馬は維新史の奇蹟、といわれる。」「型やぶりといわれた長州の高杉晋作でさえ、それは性格であって、思想までは型破りではなかった。竜馬だけが型破りである。この型は、幕末維新に生きた幾千人の志士たちのなかで、一人も類例をみない。」「『薩長連合、大政奉還、あれァ、ぜんぶ竜馬一人がやったことさ』と、勝海舟がいった。」「竜馬が千葉家からもらった北辰一刀流の免許皆伝の伝書一巻を見ることができたのも、そのひとつである。この伝書は、明治後、縁族のあいだを転々としていたが、ついに大正の末年、その最後の所有者が渡米したために彼地に渡っていた。この小説がはじまったころ、たまたまその所有者につながるある婦人が帰日して、高知県庁をたずね、『私どもには不要のものだから』と、永久保存を託した。」 以上、司馬遼太郎「竜馬がゆく八」の「あとがき一」pp395-397の抜粋。「竜馬」は終了。またの登場を乞う御期待。5月12日。
●竜馬の凄み。竜馬は北辰一刀流の千葉道場から免許皆伝をもらったほどの剣の達人で、当時江戸の(他流を集め参加した)多流試合でも決勝でかの曲者の桂小五郎こと木戸孝允を下している。その竜馬、自身の剣でひとりとして人殺しをしていない(可能性が高い)。あの寺田屋事件(=寺田屋遭難)でも未明(深夜2時)に伏見奉行の林肥後守忠交の捕り方百数十人に襲撃された時もピストル(6連発)で応戦し刀は使わなかった。1866年3月9日(慶応2年1月23日)のことだ。深夜風呂に入っていたお龍がその気配に気付き素っ裸で階段を駆け上り、その危機を竜馬に知らせたという・・・あの有名なシーンである。そこで使用したピストルは上海帰りの高杉晋作からもらったという。竜馬の佩刀である陸奥守吉行は坂本家先祖伝来の刀で、兄の権平から贈られたもの(姉からというのは司馬遼太郎の創作か)。寺田屋ではピストルで相手一人を殺めたというがその時にピストルは紛失したという。その後もお龍ともども1挺づつのピストルを手に入れていたが不覚にも絶命地の近江屋では持ち合わせてなかったのだ。人を殺すことを極端に嫌っていた竜馬、凡庸な常人の頭では理解不可能・・・。つづく。5月12日。
●「ドクター・ヒデのワンニャン譚」をはじめて6回目が先週終了。「ヒデ」は「秀」で必殺シリーズの三田村邦彦演じる「飾り職人の秀」のパクリ。年間25回分のネタがいるから、今からネタ探しにアンテナを張っていないと25回は厳しいかな・・・と思い日日奮考中である。ネタ明かしは本番での興味を随分と殺ぐからして内緒だが、現在3カ月先(6回分)までの譚は確保できた。さあ、そのつぎは何にしようかと書棚を見回すと「徒然草」が目に入る。吉田兼好(卜部兼好=うらべのかねよし・1283頃~1352以降)の「つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。」(「徒然草」244段中117段)ではじまる(序文)あれである。折角なのでそこでもうひとつ紹介しよう。「友とするに悪き者、七つあり。一つには、高く、やんごとなき人。二つには、若き人。三つには、病なく、身強き人、四つには、酒を好む人。五つには、たけく、勇める兵。六つには、虚言する人。七つには、欲深き人。 よき友、三つあり。一つには、物くるゝ友。二つには医師。三つには、智恵ある友。」。最近しずかに兼好ブームという。さすがは金言だ。健康も心が兼好でなくては元も子もなく成り立たない。5月12日。