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今週の親仁ギャグ・2014年6月29日(日)~7月5日(日)

●日本の著名人は「泣きべそ」とか「泣き虫=泣き味噌」と世界が報じるようになるぞ。酒を呑んで泣くのは「泣き上戸」だが、税金を盗人(ぬすっと)して弁明に窮して泣くのは何と言おうか。まさか親・嫁・子供も「もらい泣き」してはないだろうに・・・。以下は2010年7月2日の「親仁ギャグ」であるが、泣くとスカッとして気持ち良いが、果たして盗人号泣漢は如何に・・・。「『闘魚』(ベタ=betta属でスズキ目・オスフロネムス科の淡水魚)がケンカする時に口腔から分泌されるコルチゾールの量を測定しているクランケで研究者がいる。闘魚はタイのメコン川流域原産の熱帯魚で、タイでは闘鶏などと同じく昔から遊戯のために飼われていたという。最近では、その美しさから観賞魚としても人気が高いらしい。人間が大泣きをした後に爽快感を感じるのは副腎で作られるコルチゾールが涙と共に放出され、悲しみのストレスを弱めるのが理由だという。赤ちゃんの唾液中のコルチゾールを測定して、ストレスの度合いなどを解明する研究もあるようだ。大人でも唾液中にコルチゾールが分泌され、ストレス発散につながっていると考えられている。やけ食いや大食い、女性のお喋り食いが満更悪ではないようだ。2010年7月2日。」。「泣きを入れて」ステロイドが抜け本人はスカッとしたかもしれぬが、国民の「泣き寝入り」は絶対にないぜよ。7月4日。

号泣兵庫県県議に捧ぐ。「『江帾まず泣き、寛斎、鼎蔵もまた泣き、座中みな泣く』と、松陰が書いているように、江帾はこの『泣社』のなかでも感激屋の最たるものであった。ちなみに人間は近代に入ると、泣かなくなった。中世では人はよく泣いた。中世よりもはるかにくだって松陰の時代ですら、人間の感情は現代よりもはるかにゆたかで、激すれば死をも恐れぬかわり、他人の悲話をきいたり国家の窮迫を憂えたりするときは感情を抑止することができない。」(司馬遼太郎「世に棲む日日」(一)p144」。泣くレベルが違うぞ。中世は鎌倉幕府成立(1192年ではなく1185年が最近提唱されている)から室町幕府滅亡(1573年)まで。近世は(安土桃山時代と)江戸時代。ついでに近代は明治維新(1868)から太平洋戦争終結(1945)まで。古代は(大和朝廷時代から)奈良(710-794)・平安時代(794-1185)つづく。7月4日。

ここまできたら「出来レース」だな。「集団的自衛権閣議決定」→「辺野古米軍基地移設建設埋立開始」→「北朝鮮への一部制裁解除」の流れは国民への説明説得を愚弄無視した・・・(もちろん安倍ちゃんの思い入れも大きいが)アメリカの「威圧外交」じゃないか。前者2つを遂げれば日本単独の制裁解除は大目に見てやる・・・との意向が働いているな。過日、オバマ大統領の訪日でその流れは決まっていたとしか思えない。アメリカ側の「1泊2日」予定を、日本側が叩頭しての「2泊3日」の国賓待遇(宮中晩餐会での天皇への謁見)・・・そこまでしてアメリカに恩を売った日本政府。鮨は本来、握り飯同様「おやつ」だったのが、今や格式ばった接待仕様。どうせ出来レースで懸案事項の早期実現に「念を押される」くらいの「すきやばし次郎カウンター外交」なら「焼き鳥屋」のほうがよかったんじゃないのか出来レース:「話し合いが出来ているレースの意。見かけ上は真剣に競い合っているものの、事前の話し合いで結果が決まっている競争や勝負(今回は懸案事項)」(大辞林) 。7月3日。

極論すれば明治維新は薩長の下級武士と土佐の坂本竜馬のクーデター。今回の集団的自衛権の武力行使容認は安倍元帥の国会テロにほかならない。安倍元帥は長州生まれで維新志士の血が流れていることを忘れるなかれ。明治維新が正当であったのかどうか、あのスタイルで良かったのかどうかは論争のあるところ・・・。今回の強引な閣議決定、歴史に禍根を残すことに疑いはなかろう。安倍元帥は世紀の愚将ということだ。歴史と国民を侮辱するなよ・・・呵呵!!! 7月1日。

●「What an idiot!!(なんてまぬけな)」。「決勝ソロを放ったレッドソックス・ナポリの失言が、米メディアで物議を醸した。ダッグアウトで出迎えられる際に「What an idiot!!(なんてまぬけな)」と口走り、「あいつは俺に直球を投げてきたよ」と続けた。この音声はFOX局の全米中継で拾われ、何度もリプレーが放映された。 (スポニチアネックス)」(6月30日Yahooニュースから)。「idiot」を辞書引くと「1.ばか、まぬけ(fool)/2.白痴≪成長しても精神年齢が3歳以下の者≫/「関連」moron、imbecile、idiot」の順で程度が重くなる」。「moron」は「軽度知的障害者≪知能が8-12歳程度の成人≫」。半分ジョークだとしてもかなりの侮辱だな。「あいつ(マー君)は(どう魔がさしたのか)俺にストレートで勝負してきやがって相当な大間抜けの大馬鹿な奴だ」・・・なんて日本で虚仮降ろしたら間違いなく喧嘩になって、次の対戦では「危険球」ってとこだろう。まあ、国と言葉(これを文化の違いというかもしれぬが)が違えば受けとり方がこうも違うものなんだ。「言葉の洗礼」を受けた・・・ということだろう。6月30日。

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