●きのうの男子体操世界選手権での内村航平選手の個人総合5連覇はアッパレ。感動した。珍しく、日の丸の掲揚まで視ていたが、君が代の最後が尻切れトンボのカット。開催地が中国(南寧)だけに「まさか」ではなく「またか」の感。先の仁川でのアジア大会でも中国競泳男子の選手が「日本国歌は、本当に不快に聞こえる」と反日感情を剥き出し発言。「ハプニング」ではすまされない、確信犯的言行だな。小さい頃からの「反日教育」の成果なのであろうが、ここまで洗脳されていては当分、友好関係は望めないかもな。それにしてもアウェイでの全く気後しない堂堂たる演技、大したサムライ快男児、恐れ入りました。むかしの「体育の日」で「東京オリンピック開会式日」の、10月10日。
●台風一過とは「台風が通り過ぎたあと、空が晴れ渡りよい天気になること。転じて、騒動が収まり、晴れ晴れとすること。」。田舎と平野の街とでは台風一過の天晴れ度合も違うかもしれないが、昔の子供のころの方がより澄んで綺麗だった・・・・・・と想うのは錯覚か。司馬遼太郎も書いている。「嘉兵衛は自分の内側に入りこんでみて、子供のころといまとすこしも変わっていないことを知っている。もっとも子供のころ、小豆島のむこうに沈んでゆく夕陽や、播磨灘の夕映えが空いっぱいの豊旗雲を染めあげてゆくことの美しさに身ぶるいして感じ入った心は、いまは薄れてしまっている。」(司馬遼太郎「菜の花の沖一」p395)。昔の台風は家の揺れもひどく、一昼夜の停電なんてザラのザラ、谷から引いた水のホースも詰り断水状態であり、テレビのアンテナは飛ばされ、川の丸太橋は大水で流され・・・・・・という始末で、スカッと晴れわたった台風一過の秋空を仰ぐと、それらの損害やら味わった恐怖やらを忘れた気分になった。それだけ台風一過はアッパレな記憶を残してくれた。頼りのラジオもノイズが半分以上混じり、まともに大風情報も聞き分けられない、テレビのない時代の話だが・・・。「こころ」は大人になっても幼少と変わらないが、自分以外の森羅万象から受ける印象は年月とともに変化するということだろう。本当はその真逆かもしれないが、人間個人という存在は自分勝手な生物なのだろう。10月6日。
●年を取るということの一番(の苦痛)は連続で長時間眠れないこと。2番目が物忘れが早いというか、物覚えが悪いこと。暇があればニシタチに出向くか読書か。そういやぁ、老化の三番手を忘れていた。それは酒量が減ること。飲酒が減れば、金もかからないし居酒屋で隣の美女にも嫌われないし、悪いことばかりじゃない。眠くなければ本でも読んで眠気を待てば何のことはないし、薬は性に合わない。そう、老化の一番の難敵は物忘れというか記憶力の劣化だ。ものの理解力は年季の入りで補える。問題は記憶力だ。忘れないようにする工夫が要る。新しい収穫は忘れる前に他人に話して脳細胞への刻印を確固たるものにするか、ものに書き遺すか。そこで考えたのが休眠中の「院長コラム」の活用。少し考えた題名が「一日一知」。「一日一善」と同じ思考回路だが、ネットで検索するとやはり同じ趣向嗜好の人間の多いこと。「一日一知」は即、却下。そこで何処でもないであろう題目を作語してみた。それが「独語年中」、一年中老い耄れがひとりごとを吐いているという意味。乞う、お楽しみあれ。10月5日。