●滑稽な話がある。終戦間際の1945年7月27日、アメリカ・中華民国・イギリスが日本に対して発したポツダム宣言に対して、日本の中枢(鈴木貫太郎内閣・参謀総長・軍令部総長)は「おい、スターリンの名前は入っているか」(p14)が最大の問題であった。昭和天皇の玉音放送の8月15日正午まで3週間もない超緊迫の時間帯だ。当時、日本は日ソ中立条約(日ソ不可侵条約・1941年4月締結)に基づいてか、ソ連仲介の和平工作を本気で期待(模索)していた・・・そうであるからポツダム宣言即時受諾を渋り拒絶した・・・ソ連の調停に仄かでも希望を持ったのが結果的には広島・長崎への原爆投下につながった。事実、ソ連への平和交渉特使の随員(元首相の近衛文麿を中心に多数)も決定していた。事態は「たいへんです! サンフランシスコが、ソ連が日本に宣戦布告をした、と放送しましたぞ」(p22)という報告が迫水書記官長から首相官邸へ電話報告された・・・8月9日午前3時のことである(参考は「日本のいちばん長い日 改定版」・半藤一利・文春文庫)。ソ連の参戦で70万人とも100万人、あるいはそれ以上ともいわれるシベリア抑留に虐げられ(死者は7万とも10万人とも)、南樺太と千島列島(国後・択捉・歯舞・色丹の北方四島を含む全島)を失い、アメリカの意向次第では北海道もソ連領土になっていたかもしれない。条約なんてのはその程度のもので、今のクリミア半島やウクライナ問題(戦争)で分かるようにロシアの狡猾さにすれば、条約(同盟)過信は国土までも奪取されるということだ。安倍ちゃんの「グレーゾーンでのアメリカ軍以外(具体的にはオーストラリア軍)の軍事的(後方)支援」は気になるネ…軍事的な条約は(現時点では)日米安保条約に留めるべきである。つづく。2月14日。
●NHKは「日本放送協会」の頭文字であって「大本営発表(だいほんえいはっぴょう)」(大東亜戦争(太平洋戦争)において、日本の大本営の陸軍部及び海軍部が行った、戦況などに関する公式発表)ではありませぬぞ。国営放送の番人と己惚れている気配のある籾井NHK会長の暴走発言ですぞ。籾井会長は2月5日の記者会見で、従軍慰安婦問題について「政府の正式なスタンスがまだ見えないので、放送するのが妥当かどうかは慎重に考えないといけない」と述べ、政府がまとめる「戦後70年談話」の行方を見て判断するというもの。これじゃ、NHKはいっそ大本営の如く国営放送にして視聴料でなく税金で運営してくれたまえ・・・「永遠の0(ゼロ)」の百田尚樹氏はさすがにNHK経営委員を退くそうだが、籾井氏も公共公平放送責任者としては不適格者である。最近読んだ「ゼロ戦と日本刀」(副題:強い日本を取り戻せ・日本はあの戦争に勝つチャンスが何度もあった)(百田尚樹&渡部昇一・PHP文庫)は歴史修正主義的ナルシシストの大法螺だな。片頭痛を患うような本であった。つづく。2月12日。
●農協改革は小手先の玉虫色。JA全中の地域農協への監査権限を撤廃し一般社団法人へ転換するというが、この程度の農協改革は茶番で小手先で玉虫色であり、国民を煙に巻き茶化すものだ。JA全中は地域の農協を指導・監査することで年間80億円の上納金を得ている。問題は共済事業(保険)と信用事業(貯金・融資)であり、前者は2510億円、後者は1524億円の黒字を出し、本来の農協法の設立理由である農業関連事業は1643億円という大赤字(いずれも2012年の数字)。農家でない准組合員は正組合員の461万人を大きく凌ぎ実に536万に上る。その准組合員がJAに預金をし保険をかけ、JA全体はその運用で本業の赤字を埋め儲けを出しているという図式である。預貯金残高は91兆円で、三菱東京UFJ銀行の119億円に次ぐ業界2位である。ちなみにみずほ銀行が86兆で3位、4位は三井住友銀行の84兆円である。生命保険保有契約高も業界2位の145兆円で1位で171兆円の日本生命に次ぐ。3位は第一生命の133兆円、4位の住友生命は106兆円、5位は92兆円の明治安田生命である(2013年)。本来の農業部門では大赤字で、その穴埋めは設立時の目的外の業種である。多くの官営が民間業務を圧迫している構図と同類であろう。であるから、今回の改革の本命は、その通り、ズバリ農業に関係ない准会員を加入させないことであったのだ。本業で黒字化する努力をしてもらうのが本望なのだ・・・今度で手打とは到底考えられないというかとんでもないことだ・・・農業への補助金は税金でもあり・・・農家や山村の再生・再興なんて成り様がない。※農家は、たとえば子牛の売却金も人工授精料も野菜出荷の売上や手数料までなにからなにまで農協の口座を通過するシステムなので、営農に必要な飼料や肥料、農薬、稲苗などもほぼすべてを農協から買わされる。農家の懐(通帳)は農協に牛耳られている。つづく。2月12日。
●週刊紙ネタだが「花燃ゆ」でも安倍ちゃんの圧力があったのではないか・・・・・・「山口で何か大河ドラマになるような(歴史的)人物はいないか・・・」に対しての配慮ということだ。大河ドラマの決定は放送開始2年前の春から夏にかけて発表されるのが通例であるが、「花燃ゆ」は12月までずれ込むという異常さ。ちなみに主人公の「杉文」は吉田松陰の実の妹で久坂玄瑞の妻であったが、親仁が読んだ小説には皆無で登場しない・・・「高杉晋作」(山岡荘八)、「竜馬がゆく」・「花神」・「世に棲む日日」・「有隣は悪形にて」・「大楽源太郎の生死」(司馬遼太郎)などには全く現れない人物である。「花燃ゆ」の平均視聴率は当然というべきか低迷頻りである。1月4日の初回が16・7%(この数字は過去ワースト3位)、第2話13・4%、第3話15・8%、第4話14・4%、第5話12・8%、第6話が13.3%と低空飛行で推移している。過去の視聴率では30%近い大河もあり、初回が低ければ約50話の最終まで上昇することはないようだ(どちらかと言えば少し下がる)。8人も9人も総理大臣を輩出した山口県に行って見て下さい・・・道路などのインフラの拓けは陸の孤島・宮崎の比はありませんぞ。安倍ちゃんにお願いだ・・・莫大な経済効果を産む大河ドラマに口を挟まないで下され・・・地方に譲るくらいの器量を見せて下され・・・呵呵!!! つづく。2月12日。
●「石油の一滴は血の一滴」は第一次世界大戦でドイツに猛攻されたフランスのクレマンソー首相。アメリカのウィルソン大統領に石油を無心した時の電報の一文。中東の産油国に戻ろう。イラクは第一次世界大戦後イギリスの委任統治領となり、1932年に独立。シリアは同大戦後フランスの委任統治領となり、1956年独立。(石油が出ないヨルダンは同大戦後イギリスの委任統治領となり1946年に独立)。石油の利権を求めた列強の餌食となり石油資源を搾取されたのである。石油資源のない日本も石油を求めて太平洋戦争に突入した。1940年9月、北部仏印(フランス領インドシナ)に進駐し、翌1941年7月には南部仏印へ・・・これに対して日本の石油需要の8割までを輸出していたアメリカは日本への石油輸出を全面禁止した。そして日本はアメリカの「ハル・ノート」(最後通牒)を受け入れずして1941年12月8日、真珠湾を奇襲攻撃した。開戦後も戦争遂行には石油は第一必需品であるため、1942年2月にはスマトラ島パレンバン、セレベス島メナド、ボルネオ島の油田と精油所を占領して行った。原子力は電気は生むが、石油のようにビニールやゴムなどの化学製品は生み出せない。今までもこれからも石油は人類に無くてはならないもの・・しかし戦争があってはならない。つづく。2月10日。
●またか、農協改革に理研の「小保方騒動」の処分・・・群馬の令嬢政治家の政治資金デタラメ活用問題はどうなっているのであろうか・・・小渕優子議員からワインや下仁田ネギ、ブランド物などを贈られた群馬や東京の輩は儲け者だったろうが、所詮その金はわれわれの血の一滴である税金の一部・・・理研も然り、農業の補助金も然り・・・殊に農協のJA全中の改革は玉虫色の偽改革だ・・・そもそも農業従事者の平均年齢が67歳という危機感と後継者の極端な不足、休耕田の荒野化、消滅する集落・・・などなどに対する根本的解決策は皆無というか全くメスは入れられてない・・・哀しい哉。2月10日。
●とまれ、日本の連合艦隊の燃料が石炭から石油へ総入れ替えされたのは1930年という。これはイギリスに遅れをとること十数年らしい。今や戦争は空爆とミサイルの時代かもしれない(しかし空爆の効果を強靭ならしめるには地上部隊の投入が望ましい)が、その走りは第二次世界大戦からだ。空母で目的地の海上へ接近し、艦載戦闘機で制空権を奪取するのだ。第一次世界大戦での軍用機は主に偵察のみで攻撃能力は持ち合わせてなかった。石炭を焚いて飛行機を舞わせるのは素人目にも不可能であろう。この意味で石油、すなわちガソリンエンジンの発明は戦争を様変わりさせたのだ。日本での戦闘機使用第1号は、第一次世界大戦に参戦中、ドイツ租借地の青島攻略戦で飛行したフランスから輸入の「ファルマン」である。4機を輸入したが直ぐに役立たずとなり廃用となった。そのファルマンを模した国産(陸軍)第1号機を製造し、以後は陸軍海軍とも相当数の軍用機を開発製造している。ゼロ戦(=零式艦上戦闘機・皇紀2600年=昭和15年採用・00年の開発だからその名がある・後続機の開発が遅れた終戦まで主力戦闘機・10430機が製造された・設計者は堀越二郎)は誰もが知っている。※ところで、「飛行機を発明したのはアメリカのライト兄弟である。この「ライト・フライヤー号」は主翼が双葉の自製のガソリンエンジン1基(既に機械式燃料噴射装置を備えていた)を動力に、直径2.6mのプロペラ2つを推進式に配置し、ローラーチェーンによって駆動した。離陸にはレールを敷く必要があり、着陸にはそりを用いる・・・1903年12月17日のことである」(Wikipedia一部改変)。ところが、調べるに蒸気機関用の噴射装置の飛行船を空に飛ばした男がいました・・・アンリ・ジファール(1825~1882)というパリ生まれ・・・飛行に成功したのは1852年9月24日のことという。つづく。2月9日。
●太平洋に「鯨油」を求めてやってきたぺりー提督。捕鯨船の寄港地(補給基地)が欲しかったのである。彼の東インド艦隊の船は石炭の蒸気船である。江戸時代は幕府の鎖国政策により(諸藩が幕府に叛旗して倒幕に向ないように)帆船であり、当然ながら嘉兵衛の「北前船」も石数や帆の数などが著しく制約されていたのだ。ランプの燃料である鯨油が灯油にかわったのがアメリカである。ペリーが浦賀に来て6年後の1859年、ドレイクという軍人大佐がペンシルバニア州で油田を掘り当てたのである。吉田松陰(1830~1859)が「安政の大獄」で処刑された年だ。つづく。2月8日。
●エネルギーの余談で、司馬遼太郎の「菜の花の沖」は高田屋嘉兵衛(1769~1827)が主人公である。ヨーロッパならイギリスで興った産業革命が欧州全域に拡大する時代である。嘉兵衛が生きた時代の照明は明治になるまでは行燈(あんどん)であった。それまでは奈良時代に伝来した蝋燭であり、高品質の和蝋燭が文献に登場するのは1375年の「太平記」である。室町のはじめのことだ。その行燈の燃料が菜の花から採る油であった。菜種油は室町から江戸時代にかけて使用されたが、特に嘉兵衛の時代に搾取技術が発達し普及したという。嘉兵衛の生れた淡路島一帯は菜の花に埋れていたのであろうから、本の題名が「菜の花の沖」ということだ。奈良時代に輸入された蝋燭は菜種油より高価であったため、屋外での移動用(いわゆる提灯)に使用されることが多かったようだ。それでも菜種油も庶民にしては高価であり、彼らは(燃やすと臭い)鰯油を使用していたという。さらに余談で、1853年に浦賀に現れたペリー(1794~1858)艦隊は照明に使用する「鯨油」を求めてのことだった・・・意外ですね。つづく。2月8日。
●ウィリアムス・ダ―シ―は資金難でこの石油利権を他国に売ろうとした時、当時海軍相だったチャーチル(のちの首相)が政府を説得してこの利権を買い上げた。この国策会社が「アングロ・イラニアン」で、現在の「BP(ブリティッシュ・ペトロリアム)」である。イラクでもイギリスとドイツは石油利権をめぐって激しく争い、妥協策として生まれたのが「トルコ石油会社」(のちの「イラク石油」)であり、ドイツの持ち株比率は25%であり、ロイヤル・ダッチ・シェルが同じく25%、残りの50%がダ―シ―・グループであった。第一次世界大戦開戦の年の1914年のことだ。つづく。2月8日。
●かつては世界の4分の1を植民地支配下に置いたイギリス。今回の有志連合も米仏と並ぶ旗振り役(主導)だ。皮肉にもシリアやイラクの石油施設にも空爆を繰り返しているが、その中東で油田を掘り当てたのも彼らだ。言わずと知れたことだが、日露戦争までのエネルギー源は石炭であった。バルチック艦隊を全滅させた連合艦隊(日本海海戦・東郷平八郎司令官・秋山真之作戦参謀・旗艦は「三笠」)も当然、石炭を焚いた蒸気船である。(1760年代にイギリスで興った産業革命は石炭に拠るものだ)。そこで本題であるが、イギリスは中東で1908年、ウィリアムス・ダ―シ―がイランで油田を掘り当たことから・・・その利権争いに第一次世界大戦が絡んだ。彼は当初、イランの採掘量の6分の5の利権を入手したという。つづく。2月8日。