コンテンツへスキップ

今週の親仁ギャグ・2015年3月22日(日)~3月28日(土)

戦艦武蔵がレイテ島の千メートル海底で発見された。司馬遼太郎賞、それも第一回の賞を蹴った小説家、その名は吉村昭氏。吉村は小説「戦艦武蔵」も残している。その吉村氏が沖縄戦の牛島軍司令官と長参謀長の最期の自決の模様が言伝えと事実とは異なるのではないかという疑問からその真実を追ったのが「剃刀」という短編小説である。「木村は、うつらな眼で言った。牛島軍司令官と長参謀長は下着をすべてかえ、まず参謀長が切腹し、剣道に長じた坂口大尉が介錯した。ついで軍司令官が腹に短刀を突き立て、再び坂口大尉が刀をふり下ろしたが、流れ弾でくだけ散った岩片で手に負傷していた坂口大尉は、介錯を仕損じた。そのため藤田曹長が刀をとって、介錯したという。『他の上官殿たちは、すべてピストル自殺した。軍司令官と参謀長の首は、吉野中尉殿がどこかに埋めたらしい』木村上等兵は、沈んだ声で言った。そして、ふと思いついたように、『辻の女も二人、抱え親の婆さんとともにピストルで射殺された』と、つけ加えると壕の奥を振返った。・・・(略)・・・『軍司令官と参謀長の自決した場所は、壕の奥というわけですね』私(注:吉村昭氏本人)は、理髪店主(注:軍司令部で理髪を担当した軍属)の比嘉氏にたずねた。『そうです。壕外の岩の上に坐って腹を切ったなどと言う話もあるらしいが、そんな芝居にあるようなものじゃないですよ』・・・(略)・・・『ピストルで射殺されたという辻の女は、若かったのでしょうか』という私の問いに、『二十二、三歳の女だと言っていました』と、比嘉氏は答えた。戦場経験のない私には、それらの女を最後まで残した司令部員の気持が理解できない。・・・・・・」(「総員起し」・文春文庫の「剃刀」PP161~190のpp189~190)。従軍慰安婦問題と、日本軍将校の無能性と堕落・・・戦争はどういうものか。「昭和二十年三月二十六日、アメリカ軍は慶良間列島を攻略し、四月一日、多数の上陸用舟艇を放って沖縄中央部の嘉手納海岸に上陸戦を行った」(同・p161)・・・もう一週間で約25万の日本人が戦死した沖縄戦・・・。つづく。3月24日。

先頭へ