●「ワンニャン譚」の承前。人間とイヌとはどちらが地球上の先輩かというと、もちろんイヌだ。イヌの祖先である狼(タイリクオオカミ)は3800万年前に北アメリカに出現し、ユーラシア大陸には2300万年前に拡大したそうだ。それからすると、人間を新人類とするとその新人類が現れたのはたかだか20万年前、フランスのクロマニヨン人が有名だ(※1)。イエネコの祖先は約13万1000年前(更新世末期)に中東の砂漠などに生息していたリビアヤマネコ(※2)。先月(4月)、宮崎市のフェニックス動物園のオランウータンの「お裾分け」がマスコミでも注目さた。数日前もどこかの国のオランウータンが虎の子供に哺乳瓶で授乳させたり、数頭の仔虎の面倒を看るのが放送された(※3)。動物も人間の行動をよく観察しているということであろう。これが何万年も続けばネコもイヌの習性を習得するという事か。特に一つ屋根の下に人間とイヌとネコが雑居している家庭ではもっとはやいかもしれませぬ。※1:1億~7千年前-原始的サル・原猿類、4千万年前-後足立ち・テナガザル、1700万年前-ゴジラ・チンパンジー・オランウータン、600~500万年前-霊長類(人間の直接の祖先)、400~300万年前-猿人のアウストラロピテクス「南のサル」の意・中東アフリカ・「ルーシー」が有名・直立(楽々)二足歩行・空いた前足(手)で道具を使用・脳容積400~500ml、200万年前-ホモ・ハビリス・石器使用、180万年前-ジャワ原人・脳容積900~1100ml・160~180cm、(60万年前-氷河期)、50万年前-北京原人・火の使用、(日本人は明石原人?)、50~30万年前-旧人類のネアンデルタール人・脳容積1300~1600ml、20万年前-新人類(現代人と同じ現生人類・クロマニョン人・上洞人)。※2:ネコの祖先は中型肉食獣のミアキスでその起源は6000万年前という。※3:アメリカ・サウスカロライナ州のサファリパークで飼育されているスリアという名前のオス。これで一応の落着としよう。5月15日。
●連休はF先生の帰省のお陰で少しく休むことができた。「ワン・ニャン譚」も数回分収録してくれたので大助かり・・・とはいきませぬ・・・わたくしの担当分は別だからね。ということで読書に読書でネタ探し(そこまではありませぬが)・・・実際は好きな本を読んでいてネタに当れば「ラッキー」という具合ですが・・・。それでも毎週となると追っ付けないから・・・やはりF先生には感謝だな。放送時間は5分なので読後感想の真意がどこまでリスナーに届いているか懐疑だ。そこはネットで補足補充しなくてはなるまい。そう、時代背景など近辺の解説や知識伝授が必要だ。早速、今週のテーマは丸谷才一のエッセイで「犬と猫」。犬が人間に飼われ始めて2万年、猫はその半分の1万年。だから、猫は犬ほどに人懐っこくなくチンチンやお手もしなければしゃぶった骨を埋め隠すこともしない・・・という画期的理論・・・あと1万年もすれば猫だってチンチンやお手もするようになるのでは・・・という譚である。そこで近辺知識・・・犬のルーツは北アメリカ大陸のタイリクオオカミで3800万年で、2300万年前にユーラシア大陸へ移動拡大したらしい。そういえば(記憶が正確なら)日本列島が大陸から分離されたのが2000万年前だったから、それよりも古き譚である。つづく。5月12日。
●西郷隆盛の師匠は島津斉彬(1809~1858)ですよね。下級武士、西郷の才能を見出したのが日本有史上稀有の開明家で天才藩主の島津斉彬なんですが・・・西郷の征韓論(西郷はこの言葉は使わず「遣韓」と称した)も斉彬の「教え」なんですね。ロシアの生来の南下癖で当時の李王朝は(ロシアの南下で)占領され、その後は日本にも攻め入って植民地化されるのを恐れていたのですね。一方の吉田松陰(1830~1859)や藤田東湖(1806~1855・徳川斉昭(1800~1860・「最後の将軍」徳川慶喜は斉昭の7男)の懐刀というか思想的指南役)の征韓論は「古代(古事記)の時代から朝鮮半島は日本の領土」なんて考えていたから、朝鮮半島に開国(当時は李王朝も清国も鎖国中)を説き、領土を統合してロシアの南下を防ごうと考えていたんですね。斉彬の開明力は、1853年ペリーが下田に来て徳川幕府に献上した(というか最先端武器で日本を威嚇した)2挺のライフルの1挺を借りて分解し、それを集成館で3000挺も自藩で仕立てて京都での倒幕運動に使用したというから・・・流石は天才だね。鍋島藩、伊予宇和島の伊達藩(長州の蘭学医師・大村益次郎が設計)と競って蒸気船を建造した。ほかにも先進化のためいろんなことをやったのが斉彬だ。そこで問題は「明治日本の産業革命遺産」で年代を限定したのがまずかった。「反日侮日」思考に火をつけた。1910年までがいかにも韓国に喧嘩を売っているようなものだ・・・穿った見方をすれば安倍ちゃんの恣意的政治戦略が臭うな。「松下村塾」に「萩城下」という攘夷思想的なものを含んだのもまずかった。吉田松陰門下で高杉晋作と双壁の久坂玄瑞が主人公のNHK大河ドラマ「花燃ゆる」も安倍ちゃんの肝入りのごり押しだが、このユネスコ遺産もその系統だな。日本が高度経済成長の1970年まで(第一次オイルショック)を総合すべきであったのを1910年の、そう日韓併合までとした。1904~1905年の日露戦争のクライマックス、薩摩の東郷平八郎の太平洋艦隊の旗艦「三笠」はたしか英国製でしょう・・・戦闘機だって1920年代に入ってからはじめて国産機ができたんでしょう・・・産業革命なんてのは動力がそれまでの人力から石炭にかわったんであったよな・・・でも世界の実情はその時代、もう石油(ガソリン)でしょう。当時の世界の趨勢からしたら時代遅れだったわけですよね・・・。もちろん、超短期間で西欧化に成功した明治の先人の努力には感服、感謝してますよ。話のもっていきようですね。つづく。5月10日。
●明治日本の産業革命遺産で韓国が抗議・・・その遺産群とは、萩反射炉(山口県萩市、1856年)・恵美須ヶ鼻造船所跡(萩市、1856年)・大板山たたら製鉄遺跡(萩市、1855年)・萩城下町(萩市、江戸時代)・松下村塾(萩市、1857年)・旧集成館(鹿児島県鹿児島市、1854年)・旧集成館反射炉跡(1851年)・旧集成館機械工場(1865年)・旧鹿児島紡績所技師館(1867年)・寺山炭窯跡(鹿児島市、1852年)・関吉の疎水溝(鹿児島市、1858年)・韮山反射炉(静岡県伊豆の国市、1857年)・橋野鉄鉱山・高炉跡(岩手県釜石市、1858年)・三重津海軍所跡(佐賀県佐賀市、1858年)・小菅修船場跡(長崎県長崎市、1869年)・三菱長崎造船所 第三船渠(長崎市、1905年)・長崎造船所 ジャイアント・カンチレバークレーン(長崎市、1909年)・長崎造船所 旧木型場(長崎市、1898年)・長崎造船所 占勝閣(長崎市、1904年)・高島炭坑(長崎市、1869年)・端島炭坑(長崎市、1890年)・旧グラバー住宅(長崎市、1863年)・三池炭鉱、三池港(福岡県大牟田市・熊本県荒尾市) ・三池炭鉱 宮原坑(大牟田市、1898年)・三池炭鉱 万田坑(大牟田市・荒尾市、1902年)・三池炭鉱 専用鉄道敷跡(大牟田市・荒尾市、1891年)・三池港(大牟田市、1908年)・三角西(旧)港(熊本県宇城市、1887年)・官営八幡製鐵所(福岡県北九州市) ・八幡製鐵所 旧本事務所(1899年)・八幡製鐵所 修繕工場(1900年)・八幡製鐵所 旧鍛冶工場(1900年)・遠賀川水源地ポンプ室(福岡県中間市、1910年)。つづく。5月10日。
●くどいが端午の節句の「兜」の譚。丸谷才一のエッセイに「酒中閑談」というのがあって、モノを数えるときの単位について遊んでいるのですが、国語学的には助数詞ってやつですかね。例えば槍は「筋」、刀は「振」、鉄砲は「挺」、大砲は「門」・・・豆腐は「丁」、箪笥は「棹」・・・ってやつですが、鶴の鳴き声は「鶴の一声」から「声」で鈴虫の声は鈴だけあって振るから「振り」・・・なんちゃってという遊び(クイズ)。そこで真面目に兜は「刎」で、意味は「はねる」なんですが、これがおぞましいことに「頸の動脈を切って死ぬ」。「日本の切腹と違い、中国では頸動脈をかき切って自殺」していたんだそうですが、日本の正式の切腹仕様も腹を横真一文字に切って、次いで横隔膜を縦に割き、最後は咽喉元をかっ切りましたよね・・・。それはよいとして、兜ってのは武具とは言っても確かに胴体とは分離されている。戦が終われば確かに刎ねるように脱ぎますね。真意は分かりかねますが・・・推測と想像です。兜は節句にはあまり縁起のよいものではないような気がしてきましたが・・・どうでしょうか。ついでに医療関係ですが、注射も(縫合)糸も「本」、鋏は「挺」、メスは「本」、包帯は「本・巻」、針も「本」、(膿)盆は「枚」、体温計は「本・個・台」、聴診器も「本」・・・西欧の舶来物は重みも深みもありませんね・・・漢字と日本語はやはりある程度極める価値がありそうな・・・気になっちゃいますね、呵呵!!! 5月10日。