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今週のつぶやき親仁・2021年2月7日(日)~2月13日(土)

●「日本に居なくなったか? 好々爺③
▲「大きな人物の落つるのは寂しい。大きくして暖みのある人格の世を辞するのは限りなき愛惜だ。渋沢翁は明らかにブルジョアジイの一人であるが、その故に翁を憎むものは不思議にない。大衆はブルジョアジイに対して根深い反感を持つが、翁に対してだけは除外例だ。無産政党の人達でさへも『よき、をぢさん』と考えてゐるものが多い・・・・・・」。これは1931年、渋沢栄一が亡くなった際の、雑誌「サラリーマン」の追悼文の書出しという。(城山三郎著「雄気堂々・上巻」・新潮文庫・p15)。
▲森翁も二階翁も、鬼籍に入る際、愛惜の涙を流す国民が如何程か、もうそろそろお考えになったほうがよろしいようで!!! 「よき、をぢさん」を演出するには遅すぎるようですが、少なくと残りの晩節が今以上に崩れ汚れることがないことを祈っております。
2月10日。

●「日本に居なくなったか? 好々爺②
▲この数日、「日本の好々爺」は誰だろうかと広く見渡し途方に暮れていますが・・・・・・それでもありもしない拙い見聞をもとに私見を言わせてもらいましょうか。
▲そうですね、先ずは土光敏夫(1896~1988)氏、あの「メザシの土光さん」です。子供のころにテレビで拝顔しましたので、それも食卓で目刺を食っているところのシーンですな。清貧の土光さんであります。経済団体連合会第4代会長に就任し、「ミスター合理化」として「土光臨調」と称されている第二次臨時行政調査会でも辣腕を振るった好々爺です。政治家では「カミソリ」の異名をもった後藤田正晴(1914~2005)氏。同じく「黄門さま」と言われた政界の御意見番こと、渡部恒三(1932~2020)氏。先ほど鬼籍に入られた作家で「日本のいちばん長い日」の半藤一利(1930~2021・夏目漱石は義父祖)氏。そして「竜馬がゆく」の司馬遼太郎(1923~1996)先生。そして新一万円札の渋沢栄一(1840~1931)氏。
▲ところで「好々爺」なる人物像は・・・・・・辞書的には「人のよい老人。にこにこしたやさしそうな老人」とありますが、私的には「端的な表現で”コト”の真髄を語り、若者に分かりやすく語りかけ希望や夢を与え、にこにこ顔をもってうっとり聞き入るような話術をもった、ユーモラスな『人(間)たらし』の爺様と言ったところでしょうか。総じて、文句なしで人生の目標にしてみたい人物でしょうか。
▲そこで一文。「人間は誰でも、ただ、その人と同時代に生れたこと、その人と同じ空の下で同じ空気を吸っているのだ、と思うだけで心の支えになる・・・・・・『司馬先生なら、きっと・・・・・・』・・・・・・いと親しげにお名前を口にするだけで、ああ、とっても倖せ。・・・・・・」。これは、「二十四の瞳」の高峰秀子(1924~2010)氏が書かれた司馬遼太郎先生への追悼文です。(平成28年3月1日発行の「司馬遼太郎の真髄『この国のかたち』・文藝春秋永久保存版・pp140~151・原文は「文藝春秋」1996年5月臨時増刊号より)。
つづく。2月9日。

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