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今週の親仁ギャグ・2016年4月10日(日)~4月16日(土)

●三島事件を受け、インタビューで新聞記者から「三島の行動が日本の軍国主義復活と関係があるか」と問われたアメリカ人の日本学者、エドワード・G・サイデンステッカー(1921~2007)は「たぶん、いつの日か、国が平和とか、国民総生産とか、そんなものすべてに飽きあきしたとき、彼は新しい国家意識の守護神と目されるだろう。いまになってわれわれは、彼が何をしようと志していたかを、きわめて早くからわれわれに告げていて、それを成し遂げたことを知ることができる。三島の生涯はある意味でシュバイツァー的生涯であった。」「時事評論」とコメント。(Wikipediaより引用)。決起した三島の意図は、陸上自衛隊の同調を期待し、「天皇の軍隊」を宣言することであった・・・が、実際の実働部隊は演習で市ヶ谷駐屯地を留守していた。三島由紀夫(1925~1970)が逝って46年を経たいま、「国が平和とか、国民総生産とか、そんなものすべてに飽きあきしたとき」かどうかを国民一人ひとりが自問すべきであろう。「戦争なき、核なき世界」を希求するのは誰しもだが、一足飛びには不可能であり、数世紀を要するかも知れない。それまで自国は自分たちで守るという当り前の、強靭な観念を備えなければならない。経済や世界3位のGDPが国を救うものではない。4月13日。

●私は山口百恵世代である。高校生の頃、映画館で「潮騒」も見ました。立見でしたが・・・。10年くらい前に小説「潮騒」を読んでなかなか感動しました。その三島由紀夫の印象?・・・大(御所)文士、ノーベル文学賞候補、マッチョのほか「右翼」、「天皇万歳」、「軍国主義」・・・といったところか。その三島由紀夫は割腹自決の3年前のサンデ―毎日(1967年6月11日号)で「三島帰郷兵に26の質問」で「私は、私の考えが軍国主義でもなければ、ファシズムでもないと信じています。私が望んでいるのは、国軍を国軍たる正しい地位に置くことだけです。国軍と国民のあいだの正しいバランスを設定することなんですよ。(中略)政府がなすべきもっとも重要なことは、単なる安保体制の堅持、安保条約の自然延長などではない。集団保障体制下におけrアメリカの防衛力と、日本の自衛権の独立的な価値を、はっきりわけてPRすることである。たとえば安保条約下においても、どういうときには集団保障体制のなかにはいる、どういうときには自衛隊が日本を民族と国民の自力で守りぬくかという”限界”をはっきりさせることです。」(Wikipediaより引用)。「三島事件」は憲法改正を主目的に陸上自衛隊の蹶起を促すために行った、ニ・二六事件のようないわゆるクーデターの類でしょう。二・二六事件:1936年2月26日未明、陸軍皇道派青年将校(1400名の部隊)が起したクーデター事件。高橋是清蔵相らを殺害。集団的自衛権と憲法改正・・・自衛隊駐屯地を占拠し、総監らを日本刀で傷害し、隊員らに檄を飛ばし、最後は割腹自刃し、楯の会の若いメンバーひとりを道連れにするなどの責任は非難を免れない・・・文字通りの「」をもってのクーデターであった。だが、上記のような主張をみるに、今の「平和ボケ日本」にとってはその真髄は的を得ていないだろうか。短絡とも思える「三島事件」を蹶起することなく、今も生きて世論を先導して欲しかったですね・・・残念無念。つづく。4月11日。

●きのうの昼にBSJで「人斬り」(五社英雄監督・大映・勝新太郎主演・1969年)をやっていた。主人公は人斬り以蔵こと岡田以蔵である。以蔵は土佐藩出身で「幕末の四大人斬り」のひとり。仲代達矢が武市半平太、石原裕次郎が坂本竜馬など々々。かつて、司馬遼太郎の「人斬り以蔵」(新潮文庫)を読んでいたので粗方の筋は知っていたが、四大人斬りのひとりである田中新兵衛に扮する三島由紀夫の切腹シーンは迫真の演技そのもの。肌蹴た肩周囲の隆々とした筋肉群はマッチョ。そこで透かさず想起されたのが1970年11月25日に起った「三島事件」。三島由紀夫は自らの楯の会のメンバー4人とともに陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地にて総監を監禁し、その他の幕僚に日本刀で斬り付けて乱闘し傷害させた大事件である。ノーベル賞候補にも挙がったときの文士だけに世界に衝撃が走った。※「幕末四大人斬り」:岡田以蔵(1838~1865、土佐藩出身、射ち首獄門)・田中新兵衛(1832~1863、薩摩藩出身、本間精一郎暗殺、「朔平門外の変」で姉小路公知暗殺の嫌疑で捕縛され黙秘し取り調べ中に突如自殺)・河上彦斎(かわかみ げんさい、1834~1872、熊本藩出身、佐久間象山暗殺、斬首)・中村半次郎(桐野利秋、1838~1877、西南戦争で戦死)。つづく。4月11日。

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