●小生は昭和34年(1959)生まれですから、終戦の14年後であります。アメリカからの物資援助をどの程度受けたのか知りませんが、学校給食の脱脂粉乳とパン(小麦粉)は多分にアメ産だったのでしょう。田舎が農家なので米の主食に限っては、それに窮したという記憶が無いのは確かです。真珠湾の安倍首相演説を終始生放送で視聴していましたが、確かに詩的な名文であったかもしれません。しかし、演説中から感じていたのは、アメリカを中国や韓国に書き換えた場合、その内容は中国や韓国に対しての皮肉になるのではないか・・・・・・と。穿い過ぎた観方でしょうか。アメリカには「きのうは昨日、きょうは今日」のさっぱりした国民性だという。対して儒教の隣国は「千年の罪」。もしも安倍首相がこの点を揶揄したとすればその罪は小さくないであろう。その証拠の一つが稲田防衛相の靖国参拝であろう。戦後、中国に対しての戦後賠償は、中国からの要求がなかった。満州はじめ植民地化あるいは占領した領土を返すことで済んだ。しかし1979年に開始された援助は、2013年度までに有償資金協力(円借款)を約3兆3,164億円、無償資金協力を1,572億円、技術協力を1,817億円、総額約3兆円以上のODAを実施。30年以上前の数百億円は相当の額であり、ましてや中国にとっては今の発展の礎となったに違いない。つづく。1月5日。
●改めて真珠湾での安倍首相の演説全文を読んでみましょう。
「オバマ大統領、ハリス司令官、ご列席の皆さま、そして、すべての、アメリカ国民の皆さま。パールハーバー真珠湾に、いま私は日本国総理大臣として立っています。
耳を澄ますと、寄せては返す、波の音が聞こえてきます。降り注ぐ陽の、やわらかな光に照らされた、青い静かな入り江。私のうしろ、海の上の白いアリゾナ・メモリアル。あの慰霊の場を、オバマ大統領とともに訪れました。そこは私に沈黙をうながす場所でした。亡くなった軍人たちの名がしるされています。
祖国を守る崇高な任務のため、カリフォルニア、ミシガン、ニューヨーク、テキサス、さまざまな地から来て、乗り組んでいた兵士たちが、あの日、爆撃が戦艦アリゾナを2つに切り裂いたとき、紅蓮(ぐれん)の炎の中で死んでいった。
75年がたったいまも、海底に横たわるアリゾナには、数知れぬ兵士たちが眠っています。耳を澄まして心を研ぎ澄ますと、風と波の音とともに、兵士たちの声が聞こえてきます。
あの日、日曜の朝の明るくくつろいだ、弾む会話の声。自分の未来を、そして夢を語り合う、若い兵士たちの声。最後の瞬間、愛する人の名を叫ぶ声。生まれてくる子の幸せを祈る声。
1人、ひとりの兵士に、その身を案じる母がいて、父がいた。愛する妻や恋人がいた。成長を楽しみにしている子どもたちがいたでしょう。それら、すべての思いが断たれてしまった。その厳粛な事実を思うとき、かみしめるとき、私は言葉を失います。
そのみ霊よ、安らかなれ――。思いを込め、私は日本国民を代表して、兵士たちが眠る海に花を投じました。
バマ大統領、アメリカ国民の皆さん、世界のさまざまな国の皆さん。私は日本国総理大臣として、この地で命を落とした人々のみ霊に、ここから始まった戦いが奪ったすべての勇者たちの命に、戦争の犠牲となった数知れぬ無辜(むこ)の民の魂に、永劫(えいごう)の哀悼の誠をささげます。
戦争の惨禍は二度と繰り返してはならない。私たちは、そう誓いました。そして戦後、自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを貫いてまいりました。
戦後70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たち日本人は、静かな誇りを感じながら、この不動の方針をこれからも貫いてまいります。この場で、戦艦アリゾナに眠る兵士たちに、アメリカ国民の皆さまに、世界の人々に、固いその決意を日本国総理大臣として表明いたします。
昨日、私はカネオヘの海兵隊基地に、1人の日本帝国海軍士官の碑(いしぶみ)を訪れました。その人物とは、真珠湾攻撃中に被弾し、母艦に帰るのをあきらめ、引き返し戦死した、戦闘機パイロット、飯田房太中佐です。彼の墜落地点に碑を建てたのは、日本人ではありません。攻撃を受けていた側にいた、米軍の人々です。死者の勇気をたたえ、石碑を建ててくれた。
碑には祖国のため命をささげた軍人への敬意を込め、『日本帝国海軍大尉(だいい)』と、当時の階級を刻んであります。
The brave respect the brave.
『勇者は、勇者を敬う』
アンブローズ・ビアスの詩は言います。戦い合った敵であっても、敬意を表する。憎しみ合った敵であっても、理解しようとする。そこにあるのは、アメリカ国民の寛容の心です。
戦争が終わり、日本が見渡す限りの焼け野原、貧しさのどん底の中で苦しんでいた時、食べるもの、着るものを惜しみなく送ってくれたのは、米国であり、アメリカ国民でありました。皆さんが送ってくれたセーターで、ミルクで、日本人は未来へと命をつなぐことができました。
そして米国は、日本が戦後再び、国際社会へと復帰する道を開いてくれた。米国のリーダーシップの下、自由世界の一員として、私たちは平和と繁栄を享受することができました。
敵として熾烈(しれつ)に戦った、私たち日本人に差しのべられた、こうした皆さんの善意と支援の手、その大いなる寛容の心は、祖父たち、母たちの胸に深く刻まれています。私たちも覚えています。子や孫たちも語り継ぎ、決して忘れることはないでしょう。
オバマ大統領とともに訪れた、ワシントンのリンカーン・メモリアル。その壁に刻まれた言葉が私の心に去来します。
『誰に対しても、悪意を抱かず、慈悲の心で向き合う』。
『永続する平和を、われわれすべてのあいだに打ち立て、大切に守る任務をやりとげる』。
エイブラハム・リンカーン大統領の言葉です。私は日本国民を代表し、米国が、世界が、日本に示してくれた寛容に、改めてここに、心からの感謝を申し上げます。
あの『パールハーバー』から75年。歴史に残る激しい戦争を戦った日本と米国は、歴史にまれな、深く強く結ばれた同盟国となりました。それは、いままでにもまして、世界を覆う幾多の困難に、ともに立ち向かう同盟です。明日を拓く、『希望の同盟』です。
私たちを結びつけたものは、寛容の心がもたらした、the power of reconciliation、『和解の力』です。私がここパールハーバーで、オバマ大統領とともに、世界の人々に対して訴えたいもの。それは、この和解の力です。
戦争の惨禍は、いまだ世界から消えない。憎悪が憎悪を招く連鎖は、なくなろうとしない。寛容の心、和解の力を、世界はいま、いまこそ必要としています。憎悪を消し去り、共通の価値のもと、友情と信頼を育てた日米は、いま、いまこそ寛容の大切さと、和解の力を世界に向かって訴え続けていく任務を帯びています。日本と米国の同盟は、だからこそ「希望の同盟」なのです。
私たちを見守ってくれている入り江は、どこまでも静かです。パールハーバー。真珠の輝きに満ちた、この美しい入り江こそ、寛容と、そして和解の象徴である。
私たち日本人の子どもたち、そしてオバマ大統領、皆さんアメリカ人の子どもたちが、またその子どもたち孫たちが、そして世界中の人々が、パールハーバーを和解の象徴として記憶し続けてくれることを私は願います。
そのための努力を、私たちはこれからも惜しみなく続けていく。オバマ大統領とともに、ここに、固く誓います。ありがとうございました。」。つづく。1月5日。
●首相・外相・防衛相の国防三羽烏が真珠湾へ慰霊したかと思うや否や、すぐさま稲田防衛相の靖国参拝。すかさず中韓が反応し、韓国の釜山は慰安婦像を設置。一国民として、国の指導者の腐心難儀は知る由もないが首も傾げたくなる。負け犬が勝国に媚を売り、かつての植民地には強気の一辺倒。国内にあっては、社会保障が不安どころか、年金財政は壊滅的状況にある。その根源は医療と年金問題である。とくに後者の年金は、1年に総額で50兆円支払われるが、その内訳は積立がわずか5兆円しかなく、12兆円が消費税、残りの33兆円が主に若者たち(現役労働者)の掛け金である。若者たちが支払う掛け金の全てが右から左へ年金受給者に回っているだけのはなしだ。現在の積立残金も、聞いて驚くなかれ、わずか142兆円であり、3年ともたないのである。現在の年金受給資格者が平均寿命まで生きた場合の年金必要額はなんと1000兆円。これだけでも2017年の光明は見えてきようがない。しかし、悲しいかな、これが現実なのだ。つづく。2017年1月1日。