●タイムリーな譚ですが、水の恐ろしさをもうひとつ。それは「消雪パイプの発案者は諸説あるが、柿の種で知られる浪花屋製菓の創業者で、新潟県長岡市の市議でもあった今井與三郎が、周囲には雪が積もっているにもかかわらず、地下水の滲みだしている箇所にだけ雪がないことに目をつけ、昭和30年代に考案したとされる。今井は、井戸から温かい13℃の地下水を汲み上げ、これを長岡市の公道に散水して雪を解かす装置を設置することを訴えて、1961年(昭和36年)にこれを実現させた。長岡市は、1963年(昭和38年)1月30日に観測史上最高となる3m18cmの積雪を記録し、市は完全に雪の中に閉ざされたが、消雪パイプを設置した延長3.7kmの道路だけはアスファルト路面が現れたままで、消雪パイプの絶大な効果に誰もが驚いたと伝えられている。」とWikipediaにありますね。この寒気団の中、田舎で心痛なのが水道の凍結だが・・・・・・その解決策の一番は水を流しっぱなし。「毒を以って毒を制す」とは少し意味が違いますが、水には水が一番というのもH2Oの凄みですな。つづく。1月14日。
●築地市場の不衛生は、「ここが日本、それも東京か」と目を疑うほどです。観光で徘徊して、それこそ例の”すしざんまい”なんかで食事をするくらいなら、そうも思わないかもしれませんが・・・・・・。「不衛生さ」と「ずさんさ」の実体験を披露しましょう。①通りと通りを横切る通路があります。その通路の両側にも飲食店が軒並みです。ある時、イセエビラーメンを注文したのですが、一階が満席で2回に階段をのぼってビールケースを並べてような低いテーブルに案内されました。すぐ横ではスープを小鍋で炊いていましたが、イセエビは身が極端に削ぎ落とされた殻ばかりで(それは良いとしても)、なんとその中に入れたのは銀袋の出来合いの調味料でした。どっさりと何度も入れ込んでそのたび杓で味見してました。それを薬缶に入れて階下へ持ち去りました。持ち去る前、さらに驚いたことに、あらたに鍋に水を張り、殻のイセエビを投入して、火を掛けたまま、店員がいない客だけの部屋となりました。使用のコンロもポータブルで、客は誰でも容易に手の届く距離です。テロへの用心なんてのは毛頭ないんでしょうな。値段は1600円か1700円だったと記憶します。つづく。1月14日。
●豊洲は、「最大で基準値の79倍のベンゼンと3.8倍のヒ素、不検出であるべきシアンも検出された。外部有識者の『専門家会議』は数値を『暫定値』とし、再調査の方針を示した。小池百合子知事が「今夏までに」としていた移転の可否判断時期の先送りは不可避となった。」(14日・毎日新聞)と云う。豊洲は大正12年(1923)の大震災の瓦礫などを埋立て、その後東京ガスが石炭から都市ガスを製造のため使用したか、あるいは製造の過程で生産された有毒な物質が土中に蓄積した。そもそも物事と云うのは、最初が肝心であるから、出だしを間違えると最後にはとんでもない大問題に発展するのが・・・・・・世の常である。さらに更に不可思議は「専門家会議」というものの存在で、この類は従来、例えば原子力規制委員会のような組織がそうであるように、大概が役所の回し者であります。海にどっぷり浸かっている「毒の人工島」を無毒化できるなんて云う発想自体が無謀です。津波しかり、洪水しかり、大雨しかり・・・・・・水に抵抗してなりません・・・・・・それも東京湾に浮かぶ人工島ですぞ。「専門家会議」なるものは計画が持ち上がって時点で”No”を突き付けるべきだったのです。彼らも同罪と云うことですよ。つづく。1月14日。
●この2ヶ月で計4回、築地の場外市場へ出動した。10年かそれ以上前には一度、場内にあるミシュラン掲載の有名鮨店へも出向いたのだが、あの魚を主とした鼻が捻じ曲がりそうな臭いには閉口した。場外も何度か通ううちに、やっぱり移転をしなくちゃいかんのじゃないか・・・・・・と思うようになったね。建物の古さと調理の不衛生さ・・・・・・何十年と云う歴史が生んだ不衛生文化だね。建物でも一新しないと、あの界隈の悪しき習慣は改革できない。そもそもどうして移転計画が浮上したのか。どうして同じ場所に(渋谷駅界隈がそうであるように)立て直せなかったのか・・・・・・疑問沸騰だね。悪しき悪習の悪臭である。悪しき観光の外国人がタチションをするのも分からないでもないか。つづく。1月10日。