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今週の親仁ギャグ・2017年4月16日(日)~4月22日(土)

●銀座六丁目に完成したGINZA SIX。前の松坂屋で隣はビアホールライオン銀座七丁目店だ。そのオープンイベントで、「(あいさつの)原稿には残念ながら山口県の物産がない。忖度してほしい」と述べ、同商業施設での地元産物の扱いを強要した内閣総理大臣。悪乗りの骨頂だろう。受け狙いどころか拒絶の反吐が出そうだ。強権政治の驕りそのもの。下世話な話題のレベルが、このところ下々も永田町も同じになってしまった。国会議員の矜持もへったくれもない時代だ。税金泥棒が8割か。4月21日。

「安倍一強」の中、北朝鮮の核ミサイルが日本のどこかに着弾するかもしれない重大な時期に赤坂で、大酒ですか。さぞ美味かったのでしょう・・・・・・顔が真っ赤でしたが。70人から7億円を騙した62歳の女・・・騙された男(女性もいましたが)の顔が見てみたいものだ。ホスト通いで金に困り、関係のホストを恐喝・・・誰かと思ったら故有名女優の娘でした・・・歌舞伎町の男女関係で女が男を恐喝する時代なのですね。それに何よりの注目ネタは「重婚」に「ストーカー登録」疑惑の御坊ちゃま議員・・・戦争が始まるかもしれないという準非常時に二股、三股のラブラブ政務官ですか・・・ド阿保。安倍さんも安倍さんです・・・「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし たけき者もついには滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ 」と平家物語にもありますよ。いちばんの驕れる人は安倍さんじゃないですか。4月20日。

往々にして館長と名の付くものは名誉職か天下り先でありますから、歴代の館長はカラーコピー(偽物)と手彩色(それに鉛筆でのサイン)の真物を目利きできなかったのであります。私なら時には額から作品を取り出して眺めますけどね。そこで山本幸三地方創生担当大臣の発言に少しは加担したいのであります。どこの美術館にも数名の学芸員がいますから、鎌倉市の県立近代美術館での展示の場合も学芸員が「宇宙讃」の現状を確認すべきでしょうし、したのでしょうが、その真贋を見極めできなかったと云うことです。絵画の現状をチェックする場合、前面に次いで裏の額面を観察し、それから裏板を外し中の絵そのものを見るべきであります。作品そのものを入念に睨め回しシミやキズの発見に努めます。額紐の位置が変わっていたのですから一目瞭然、異変を感知できた筈です。学芸員さんよ、あなたたちはプロです。しっかりと任務を果たしなさい。棟方志功(1903~1975・藤田嗣治に並んで国際的評価が高い・文化勲章)の手彩色は独特ですし、版紙はもちろん和紙ですから。4月20日。

●神奈川県の県民ホール所有の棟方志功作の版画「宇宙讃」の紛失問題。手彩色の本物がカラーコピーのレプリカと入れ替わり。「宇宙讃」は県民ホールの緞帳の原画として制作を依頼し1974年に300万円で購入。通常は館長室に展示していたと云う。2014年に鎌倉市の県立近代美術館で展示した際、専門家の指摘で判明・・・・・・というお粗末さ。そもそも棟方氏への直接依頼の名品を館長室に飾り置くというのが大間違いの元であります。公共の名品を独り占めしようとする性根が気に食いません。美術館に常設展示するものです。私の知識では、著作権は購入するしないに関係なく、日本では作者の死後50年間有効です。この作品の場合も、緞帳に使用する旨の承諾を棟方氏本人もしくは家族などに得た筈です。その使用(著作権)料として300万の作品を購入したのでしょう。それも特別の依頼品ですから300万円は格安です。サイズも15号ですからね。著作権と云うのは面白いもので、私有物であっても作者の許可なく公衆の面前に展示したり広告で使用してはいけないのですつづく。4月19日。

●「漱石先生は毎朝便通に行かれることを一つの楽しみに数えられ、それは寧ろ生理的快感であると云われたそうだが、その快感を味わう上にも、閑寂な壁と、清楚な木目に囲まれて、眼に青空や青葉の色を見ることの出来る日本の厠ほど、恰好な場所はあるまい。そうしてそれには、繰り返して云うが、或る程度の薄暗さと、徹底的に清潔であることと、蚊の呻りさえ耳につくような静かさとが、必須の条件なのである。」(谷崎潤一郎「陰翳礼讃・文章読本」新潮文庫平成28年8月発行・p13)。宮本武蔵の「五輪の書」は外国の経営者によく読まれ、この「陰翳礼讃」はヨーロッパのとくに北欧の建築家に愛読されていると云うことを何かで見たことがあります。「六花亭」の3時間の歓談で、この谷崎潤一郎の文章を思い起こしました。残念ながら厠には行かずじまいでしたが。それは次の機会として。つづく。4月19日

●神門での小宴会の場所は居酒屋「六花亭」でした。私を含め7名の呑み会でしたが、出された料理には大感激でした。(残念ながら最近では料理の写真を撮ることはしないので見せられませんが・・・)。3時間の呑み会にどっぷり没頭していたので、記憶を辿りますと、突き出しがポテトサラダ、タラの芽の天麩羅、孟宗の湯掻とエシャロットを酢味噌で、砂ずりのニンニク醤油、それに串焼におでん・・・・・・もしかしたらその他にも出されたかもしれませんが・・・・・・これ以降の記憶は消失しています。そうそうもう一つありました。母が漬けた高菜の漬物。帰りに持たせたものですが、宴会用にとタッパーに入れてくれました。この高菜、口直しに最高だったようで大好評でした。人間というか東洋人というか日本人だからか、「侘び寂び」は何とも言えない心の古里を刺激してくすぐってくれます。この六花亭、噂には聞き及んでいましたが、こんな寒村にこんな鄙びた侘びな外見に、なんと店内は至極の寂び空間がほっこり漂っていました。つづく。4月19日。

●17日は午後から田舎の神門へ日帰り。南宮崎12時21分発の電車で上り、13時15分に日向市着。駅前タクシーを拾い14時過ぎには実家着。18時から神門の街で、とある呑み会。21時過ぎにタクシーで日向駅へ向う。上町を小(チイ)散策後、22時48分発の下り電車に乗り、23時37分南宮崎着。10分後に帰宅という日帰り一人旅の終了。写真は実家の満開直前の八重桜(牡丹桜)などなど・・・・・・であります。つづく。4月18日。

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