●親仁ギャグも、なかなかネタがないのですが・・・・・・散らし寿しの話題をもうちょっと。江戸前に拘る理由は何をもっても生臭さを取り除いて、かつ旨みを引き立たせていることです。テレビの旅行番組で頻繁に海鮮丼が登場します。海鮮丼の定義は諸説紛々あるようで、地方によっても名称が違うようです。が、基本は「白飯の上に魚介類の刺身などを盛りつけた丼物料理」であります。Wikipediaを拝借すると、「戦後に誕生した料理で、北海道、東北など北日本から全国に広まった。江戸前のちらし寿司から派生したものという説もある。江戸前寿司におけるちらし寿司は、酢飯に握り寿司用の種を飾り乗せした料理であるが、海鮮丼は一般に酢を加えない温かい白飯を台とする。ただし酢飯を用いたものを海鮮丼と呼ぶこともあり、両者の区別は曖昧である。また寿司屋ではなく海産物中心の食堂や海鮮料理店で出される料理であるため、ちらし寿司とは異なり寿司屋独特の仕事を施した種は用いられない。よく使用されるのはマグロ、ホタテ、サーモン、イカ、エビ、タコ、カニ、イクラ、ウニなどの北日本で水揚げされる魚介類の刺身である。」であります。私の回った金沢の「近江市場」、函館、築地の場内・場外のどこもが、吸う空気自体が生臭くて、とても海鮮丼を食しようとする気にはなれません。築地の場内まで潜入して有名な鮨店のカウンターに座ったことがありますが、何しろ通路や建物、排水路など場内一帯に生臭が漂い溢れ、まるで海鮮空気丼を食っているようでありました。ネタがないので私の嗜好を書いてみましたが、純な(酢飯でなく生魚を使用)海鮮丼を注文すらなら、ミックスにせず好みのネタのトッピングでしょう。最後に、醤油は合せか煮切か土佐醤油かくらいは拘るべきでしょう。呵呵!!! 11月11日。
●希望の党に失望して早や3週間。夫婦でも政治思想が程度を超えての相違であれば、もう離婚問題だ。いわんや一国の将来を担う政治家は・・・・・・である。何度も言うが”懲りない”輩ですね。それでも当選すれば大きな面して贅沢な生活はできる。今回の共同代表選では徹底的に議論して・・・・・・そして分裂しなさい。口角泡を飛ばして、つかみ合いをして、流血沙汰までして・・・・・・そして今後永劫に集結することのないようにケリをつけなさい。そのレベルの問題であります。小池百合子都知事は安倍首相よりも右であることが明白であります。論より証拠に「日本のこころ」の中山夫妻が希望の党に移籍し、落選中のダンナ先生が九州比例で当選・・・・・・これだけでも自民党よりも立派な右よりの政党であります。憲法9条と安保関連法案に関する立ち位置を明確にしてから投票を実施しないと、選挙前の(旧)民進党と何ら変わらない状況に落ち着くだけだ。政治屋と云う、したたかに金儲けだけを目論むと云う観点で”同じ穴の貉”なだけ。右の議員は自民党へ、左の方は立憲民主党へ、どうぞ移籍して下さい。もううんざりですから、どうかお願いします。11月9日。
●ついでながら鮨のアーカイブスをもうひとつどうぞ。2015年9月6日の”作品”です。
○「ばら寿司」と「ちらし寿司」の違い。蘊蓄が深いので簡潔に纏めてみる。「ちらし」(散し)は寿司飯(酢飯)の上に生魚を含む色んな寿司種を載せる。「ばら」は寿司飯と具をバラバラに混ぜ混ぜ(まぜ寿司)したのが語源で、基本は生魚を含まない。「ばら寿司」の具材は煮たり焼いたり酢で〆た魚(介)と干瓢や筍、椎茸などの調理したもの。「海鮮丼」は酢飯に限らず白飯でも可で、名の通りに丼で供される。歴史は華屋与兵衛(はなやよへえ・1799年~1858年)まで遡るようだ。与兵衛は天保年間の1824年に「華屋」を開業。彼は(日本で初めて)ワサビを使い、現在の握り寿司に非常に近いものを創作した(握り拳大の大ぶりで、かつ目が飛び出る程高値であったという)。握り寿司の考案者が与兵衛だ。ちらし寿司は握り鮨が一般に広まった明治以降であろうか。しかし、寿司の発祥というと御存知の滋賀・琵琶湖の鮒寿司(熟れ鮨)。「ちらし」のルーツもあった。備前福岡の「どどめせ」だ。炊き込み飯に酸っぱくなった濁酒(どぶろく)を掛けた(注いだ)「どぶろくめし」がなまって「どどめせ」に変化したと云う。鎌倉時代からのものと云うから歴史は古い。花屋与兵衛の江戸前と備前福岡の「どどめせ」が合体して進化したのが「ちらし」であり「ばら」なのだ。黒田官兵衛が九州福岡に移った時、備前福岡を懐かしんで「福岡」と名した。名刀「備前長船」でも有名。(「長船町福岡」は岡山県瀬戸内市の大字)。(以上です)。11月8日。
●鮨の譚が出たところで、私が以前に書いた「院長コラム」のアーカイブスをどうぞ。2007年10月17日の”作品”です。
○「すし」は「酸(す)し」といい、大辞泉によると、①「塩をふった魚介類を飯とともに漬け、自然発酵によって酸味を生じさせたもの。熟(な)れずし。生熟れ。」、②「酢で調味した飯に、生、または塩や酢をふりかけた魚などの具を配した料理。握りずし・散らしずし・蒸しずしなど。酢は暑さに耐えるので夏の食品とされた。」とある。○分り易くすると、酢・塩に漬けた、すなわち酢あるいは塩で〆た魚が「鮓」であり、魚を調理・調味して旨さを引き出したものが「鮨」である。「寿司」は当て字。○保存の手法が旨みをひきだしたところが、なんともオモシロイ。正しく天の恵みである。○握り鮨のルーツは江戸の「華屋与兵衛」までさかのぼる。華屋与兵衛(1799-1858)が最初に握り鮨を考案し、握ったのは1820-1822年頃だと言われる。山葵を最初に使ったのも与兵衛である。華屋与兵衛の功績は国民栄誉賞、いや文化勲章ものだ。○与兵衛は今も当時もであるが「煮ても焼いても、生でも食えないコハダ」を酢で〆て、掌の酢飯の上にのせ合わせて握る方法(調理法)を考案した。現在の握りずしの本家本元であり、当時は東京湾(江戸前)の魚介を使ったことから、「江戸前鮨」と言われるようになった。現在も東京風の握り鮨を「江戸前鮨」と呼んでいる。○「二束三文(薪の束)」または「二足三文(こちらは草鞋=ワラジのこと)」という言葉があるが、これは安価であまり長持しないものの喩えであろう。当時、与兵衛が握る鮨は1貫(個)250文もしたという。一文が現在の貨幣価値で25円(諸説あり。当時「四文屋」というのがあり、今風だと100円ショップや100円回転寿司に相当するから、1文=25円が覚え易い=これは小生の全くの私見)というから、当時の250文は6250円となり、ちょっとした何とか料理のフルコースに匹敵する。あまりの高値から老中・水野忠邦(1794-1851)が行った天保の改革(天保12-14年=1841-1843)の倹約令に抵触したとして、与兵衛自身投獄された。高値で贅沢だということで「お縄」であるから凄くて怖い。1824年に屋台で開店した「与兵衛鮨」は1930年(昭和5年)に閉店している。○江戸時代の江戸前の鮨ネタとしては、コハダ(小鰭)が代表だ。鰭はヒレまたはハタと読み、魚のひれを意味する。「鰭(はた)の広物」とは「ひれの広い魚。大きい魚。⇔鰭の狭物(さもの)」のことを言う。「小肌」とも当てる。○「コハダの仕事ぶりで、どんな鮨屋かわかる。」と言われるほど、鮨屋にとっても客にとっても、最重要で貴重なネタである。酢と酢飯との相性が抜群で、皮が薄いのも好まれる理由だ。塩と酢で〆た「シンコ」に至っては3~4個を束ねてサビ無しでそのままか、「煮キリ」をチョビリとつければ昇天の気分である。この魚は鰤(ブリ)などと同じく出世魚であり、関東では10cm以下の幼魚をシンコ(新子)、10cmを超えるとコハダ、15cmになるとコノシロという。東京湾のコハダが有名で、養殖はないが、台湾や東南アジアからの輸入物あり。○江戸期のコハダ以外のネタは、アジ、イカ、タコ、ハマグリ、アナゴ、キス、サヨリなどが主でいづれも生ではなく、酢〆、あるいは加熱調味したものであった。○コハダと双璧の鮨ネタはマグロの赤身である。江戸期のマグロはサツマイモ、カボチャと並ぶ下下の食い物であり、それも腹身のトロは田畑の肥やしか、「目黒の秋刀魚」ではないが、長屋の庶民が焼いて食していたと言う。赤身も他と同じく生ではなく、「ヅケ」で握られていた。「ヅケ」とはマグロのサクを醤油と味醂に漬け込んむが、その調合や時間などの手法は店でかなり違う。現在では切り身を数十秒漬けて、それから握る鮨屋も珍しくない。(以上です)。11月8日。
●籠池夫妻はエアコンもない3畳の豚小屋で豚飯(冷飯)を喰わされているのに、片や幻の教育勅語小学校の名誉校長だった首相夫人は、銀座の高級鉄板焼屋「銀座うかい亭」で伊勢エビや但馬牛のステーキなどを頬張る。籠池夫妻の罪名は補助金不正受給。一国のファーストレディーが戦前の帝国主義教育を支援・扇動しようとした愚行に法の網は掛けられないかもしれないが、今回のトランプ米大統領来日での常時にんまりの淑女振舞には拒絶反応が起こる。反吐ものだ。江戸時代、留置所は「牢屋」と呼ばれた。牢は、牛や馬を入れておく檻のこと。豚小屋は牢屋に比べ作りがチープで見たも不衛生だけに、より過酷な豚飯生活が強要される。銀座高級ステーキと豚小屋飯は、天と地。むろん豚小屋にアルコールはない。悪を働きながら、素知らぬ善人ぶりは悪代官そのもの。日本人(大和)魂の精神衛生が頗る損なわれる映像の連続だ。首相夫妻は、まさか籠池夫妻の口車に乗せられて大迷惑を被ったなんて思っちゃいないですよね。11月7日。