●先月からイチローの去就が騒がれ始めていた。体力と技術の衰え様は隠せなかった。きのうの今シーズン(大リーグ)最後の打席はボールとバットの距離が10センチもあるほどの空振り三振。そしてきょうの、事実上の現役引退会見(少なくともアメリカでの選手生活)。シーズン開始2か月での解雇は、イチローのプライドが許すはずもなく、球団としてもイチローに最大の敬意を表したのであろう、終身球団アドバイザーの処遇である。シアトルマリナーズと言えば、任天堂の関与が深い。今は筆頭株主ではないようだが、依然、株主共同オーナーのようである。契約とは雁字搦めのものではないから、来シーズンには日本球界に戻ってもらいたいものだ。巷間では日本での指導者を期待している。イチローを見出した(起用した)仰木監督は、球場外の”遊び”のほうでも名を馳せた。イチローのストイックが指導者向きか、否か・・・・・・??? いずれにしても、イチローの大リーグでの現役生活は終止符を打った可能性が高い。あとは来シーズン、日本球界に戻ってもらいたいの・・・・・・一心である。本人は「野球を研究したい」と会見で語った。真実イチローを貫いてもらいたい。5月4日。
- →醸成されていったのであるから、じっくりと当時の都を順を追って訪ね、同時に伽藍や仏像を鑑賞することで、よりその醸成過程を学習できるのであろう。それにしても奈良は宿泊施設が
- 出された。ある商人が買い、最初薪にしようと考えたが、思いのほか労力の要ることが分かり断念。次いで燃やして金目の金具を集めようとしたが、延焼を懸念した周囲の住民からの猛反発
- →唐招提寺が759年、寺院ではないが神道の春日大社が768年の創建である。ところで興福寺の存亡にかかわった事件を披露する。時は明治初年の廃仏毀釈にまで遡る。この時代、尊王攘夷は宗
- とも552年とも云う。522年には既に渡来人の私的崇拝としての記録も残っていると云う。あくまでも仏教公伝は百済から大和朝廷の欽明天皇の時代、公式に伝来した年代を云う。写真は国宝の
- 南都焼討でほぼ焼き尽くされたため、現在の塔は室町時代中期・応永33年(1426年)の再建。ところで日本で本格的な伽藍を有する最古の寺は飛鳥寺であり、創建は6世紀末とされる。法隆寺の創
- 写真は国宝の興福寺。669年の創建。始めは京都の山階寺で、のち藤原京に移り、710年の平城遷都に伴い奈良市の現在地に。奈良・京都の寺院の歴史は煩雑難解である。しかし寺である以上、