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今週の親仁ギャグ・2018年6月3日(日)~6月9日(土)

●琴平町観光協会のホームページには、「『さぬきこんぴらさん』で有名な金刀比羅宮は、象頭山の中腹に鎮座し、古来より海の神様、五穀豊穰・大漁祈願・商売繁盛など広範な神様として全国津々浦々より、善男善女の信仰をあつめてまいりました。・・・・・・」とあります。「宮(神社)」だけに祭神は大物主命と崇徳天皇であります。いろいろ調査しましたが、その歴史がしっくりきません。参道口の饂飩屋さんの女性ではありませんが、金刀比羅宮の歴史なんてどうでもよろしいのです。商売繁盛が第一なのです。創建は1001年(社伝)とも・・・否否・・・もっともっと古く大化の改新(645)前とも。(しかしどうも金毘羅だけに「海の神様」であることは確かのようです)。悪しからず。6月9日。

●仏教が公伝(552)した当初、仏は日本の神と同質の存在でした。神も仏もない・・・・・・神と仏は同質であったから、神がなければ仏もなく、仏がなければ神もないのは・・・当然なのであります。奈良時代(710~784)からは神仏習合の時代が長く続き、神も仏も仲良く共存していたのであります。しかるに明治時代以前は「金毘羅大権現」「金毘羅大将」などと呼ばれていたのですが、明治元年布告の神仏分離令(1868年3月28日)により、神号に権現などの仏教用語を使用する事が禁止され、金毘羅(漢字の音読み)は金刀比羅と改称されたのです。要は「金毘羅」が「金刀比羅」に変わったのです。そうです、金毘羅は梵語のクンビーラ(Kumbhira)を音写したもの。「クンビーラは元はインドのガンジス河に棲むがワニが、神格化したもので仏教の守護神となった。そしてこの金毘羅は薬師如来の十二神将の宮毘羅大将(くだらだいしょう)にあたり、日本に金毘羅神が飛来し、讃岐の象頭山松尾寺の境内に勧請された。起源は不明だが、室町時代後期の元亀4年(1573)の紀年銘をもつ金毘羅堂の棟札が残っており、その頃には金毘羅神が勧請されたらしい。(インターネット引用)」のです。そこで讃岐の象頭山松尾寺ですが、そこは空海の出身だけあって真言宗であります。つづく。6月9日。

●「金刀比羅宮はいつごろから今のような景観になったのですか?」と、金刀比羅宮のから参道口(階段ゼロ段)のすぐ傍に店を構えている饂飩屋さんに訊いてみました・・・・・・。なんをもって金刀比羅宮に参ろうかと思い至ったのは、ただただ有名だからであります。実際、参道口から785段のところにある本宮には到達できませんでしたから。この店には駐車場があって饂飩を食えば駐車場代がタダなのです。竹杖も貸してくれるんでありました。冒頭を訊ねたのも帰りの饂飩をいただいた時のことです。応えは「???どこかに書いてありませんかねぇ~」でした。若いアルバイト風の女性だったので、ほんとうに知らなかったのでしょう。それならばと帰って調べると・・・・・・先ず首を傾げるのが「金毘羅(こんぴら)」と「宮」の合体です。合体の読み方は「金毘羅宮(こんぴらぐう)」=「ぐう刀比羅宮(ことひらぐう)」です。「金毘羅」は梵語ですから、むろん仏教語です。「宮」は平たく言えば「神社」であります。仏と神が合体しているのであります。つづく。6月8日。

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