●水軍の首領は、簡単に言うならば、浦方の守護か豪族であろうか。戦国の世のように領地や勢力争いが激化すると、どうしても陸方には勝てず、それらの武将に従属するしか術がなかったのであろう。九鬼水軍は信長の、村上水軍は毛利の・・・・・・といったようにだ。「江戸時代には、幕府や海辺に領地をもった大名は船手組、船手方、船手衆などと呼ばれる水軍をもち、幕府では向井氏、長州藩では能島氏、尾張藩では千賀氏のようにかつての海賊衆の末裔たちが世襲して維持したが、戦争の絶えて久しい平和な時代にあっては領内の海上交通を管理したり、領内巡察や参勤交代などで大名が船旅するときに船を出したりする程度の役割でしかなかった。幕末に至って欧米諸国を範に幕府や雄藩は近代的な艦隊の創設に向かうが、そのときにはすでに海軍という用語が用いられ、水軍の名は過去のものとなる。しかしながら、幕末の海軍創成期には、水夫達のかなりの人員が水軍の伝統ある地方の出身であった。」(Wikipedia引用)。今回の瀬戸内横断夜間旅行は水軍が活・暗躍した時代に比し島嶼の地形は少しも変っていない筈なのに残念ながら夜間航海ゆえに当時の風景を連想することすら不可能でした。思考を変えて再チャレンジであります。9月17日。