●日本最古の伝統芸能は猿楽であります。奈良時代に大陸より伝わった散楽を基礎にして平安時代に成立し、鎌倉時代にはこれを生業とする者が現れ、室町時代になると、田楽や曲舞(くせまい)などの要素も取り入れ、能役者・能作者である彼の観阿弥(1333~1384・南北朝時代)・世阿弥(1363頃~1443頃)親子によって集大成されたと云うことでしょうか。繰り返しますが、猿楽が狂言ともども能楽と呼ばれ始めたのは明治時代に入ってからであります。そして織田信長出現前の1531年頃に、琵琶法師の平曲の流れで浄瑠璃が発生し、1600年前後に阿国という出雲大社の巫女によって歌舞伎が誕生したと云う・・・・・・のが大まかな歴史でしょうやら。つづく。2月2日。
●かなり全容が見えてきました。歌舞伎の舞台と云うのは、歌舞伎役者に、語りをする太夫、そして囃子の三味線・・・・・・これらは常時ステージ(回り舞台)上に存在します。時々登場し幕のすぐ傍に鎮座して拍子木(柝=き=合図としてたたく拍子木)を鳴らす(叩く)人物。それから花道の奥(観客席)から聞こえる「大向う」。さらには客席側からは見ることができない小鼓、大鼓、太鼓、笛の四拍子の裏方さん・・・・・・と云った具合でしょうか。要は、語り(太夫)と三味線は浄瑠璃の形態であり、四拍子は能の舞台形式をそのまま利用しているようです。歌舞伎の誕生は慶長(1956~1615)の頃、出雲大社の巫女であった阿国(おくに)という女性によります。歌舞伎の役者は歌舞伎者といわれるようにド派手な衣装や化粧が売りで、かつ役者は女形ですが、当初は女性も演じていたということになりますか。つづく。2月2日
●役者がそろいかけたところですが、琵琶法師なる人々が浄瑠璃の誕生に深く関わっているのが分かりました。もともと平安時代から巷間で琵琶を弾ずる盲僧がいたそうで、鎌倉時代に入って平家物語を琵琶に合わせて語り始めたのだそうな。それが大成され「平曲」というジャンルになったそうな。この平曲が浄瑠璃の誕生に関与したのであろうことに疑う余地はないでしょう(?)。平曲の起源は12世紀末が定説だそうな。ついでながら、琵琶法師の起源はどうなっているのでしょう。仁明天皇(第54代・810~850・在位833~850)の親王である人康(さねやす)という者が若くして失明し出家して山科(現在京都市山科区)に隠遁したそうで、その時に人康親王が盲人を集め、琵琶や管絃、詩歌を教えたことに始まるそうな。このことが検校と呼ばれる盲官の誕生らしい。そうです、琵琶法師で有名なのが下関の赤間神宮の耳なし法師ですな。つづく。1月31日。
●まだまだありますぞ。浄瑠璃なるものです。その起源は戦国時代、御伽草子の一種「浄瑠璃十二段草子」の作者で、かつ織田信長の侍女であった小野阿通という者、大病静養の信長のために三味線を用いて語ったという説があったそうな。能(戦国時代は猿楽)や幸若舞をこよなく愛した信長だからこそ、この説は受けが良かったのだろう。そうです、人生五十年・・・・・・の「敦盛」であります。がしかし、享禄4年(1531年)の「宗長日記」には、少なくともそれ以前から浄瑠璃(十二段草紙)が存在していた・・・・・との記述があり、いかに信長(1534~1582)であってもわずか2歳で浄瑠璃なるものを理解できるわけもないので、戦国は戦国(応仁の乱~信長の天下統一に乗り出すまで)でも信長の生まれる前が浄瑠璃の起源(1531年以前)ということだそうな。当初は琵琶で伴奏していたそうですが、江戸時代に入るか入らないかの頃、検校(けんぎょう・琵琶を奏でる盲人の最上級の官名)によって琵琶が三味線に代わったのだそうな。つづく。1月30日。
●まだまだ古参があるのですね。世界最古のオーケストラと言われ、2007年にユネスコの無形文化遺産に登録された雅楽であります。むろん国の重要無形文化財です。その源は中国、朝鮮半島を経て伝わった唐の宴会で演奏されていた燕楽という音楽だそうな。唐楽などとは無関係で、燕楽なるものが既存の日本音楽と融合し、日本で開花した芸能と云うことです。雅楽の誕生・成立は大宝(701~704)元年の大宝令(雅楽寮の創設)時が創始とされています。雅楽と聞くだけで荘厳なれど眠気が誘われそうな音ですが。雅楽を奏でる楽器とは・・・・・・一般的に三管、三鼓、両絃(二絃)の8種類だそうな。 ①笙(鳳笙)、②篳篥(ひちりき)、③龍笛(横笛、おうてき)または高麗笛(こまぶえ)または神楽または中管、④楽太鼓または大太鼓(鼉太鼓、だだいこ)、⑤鉦鼓または大鉦鼓、⑥羯鼓(鞨鼓)または三ノ鼓、⑦楽琵琶、⑧楽箏または和琴(倭琴)。その中で大太鼓、和琴は大陸の影響のないか少ない、日本独自の楽器だそうな。和太鼓は縄文時代、情報の伝達手段として既に使用されていたというから・・・・・・驚き桃の木山椒の木だ。和琴(わごん)の起源も神代紀の「天沼琴」(あめのぬごと)と云う。つづく。1月30日。
●日本の伝統芸能の最古参は何なのか。門外漢の私の調査では限界がありますが、教わる人もいないのでネット情報を纏めてみますか。どうも猿楽や狂言が歴史的に最も古いらしく、平安時代に遡るようです。7世紀ころに中国より伝わった伎楽や奈良時代に伝わった散楽に端緒があるとのことです。猿楽は滑稽な物まねや言葉芸が中心で、狂言は猿楽の笑いの要素を洗練した芸能と云うのだそうな。猿楽の当初は相撲観覧時や内侍所御神楽の夜などの限られたものあったが、鎌倉時代になって演劇化し、能と狂言に発展したと云うことです。猿楽と狂言が能楽と総称されるようになったのは明治に入ってからだそうな。と言うことは、単に能と言えば猿楽となるのでしょうか。つづく。1月28日。
●今日(27日)のEテレの夜9時から2時間、「古典芸能への招待」という番組で「卒都婆小町」という演目の「能」を放送していたので少し垣間見た。日本人の私はあまりにも古典というか日本本来の伝統芸能に疎い。このままでこの世を去ってよいものかと・・・・・・云う思いで歌舞伎座を観劇したのである。歌舞伎と言えば、中村吉右衛門か市川海老蔵ほか数人の役者しか名前と顔が一致しないし、能なんてもってのほかで(二世)野村萬斎を知るのみである。加えれば能はシテ役が面を被る・・・・・・というくらいの知識しかない。「百聞は一見に如かず」・・・・・・とはよく言ったもので、今回の歌舞伎座訪問ではその仕掛け(舞台)の全体像を理解し得たので、今日のEテレを視てもその仕組みが飲み込めたような気(?)になった・・・・・・のです。つづき。1月27日。