●秀吉の子供とされるのは石松丸、一女、鶴松、秀頼の4人のみ。養子は秀次、秀康、秀俊、秀勝、豪姫、菊姫、竹林院、江、小姫、糸姫ほか。猶子には八条宮智仁親王、近衛前子ほか。いまの時代も珍しくはない門閥結婚だが、信長や秀吉、家康の時代はもっぱらであり、政略結婚であった。織田家の家臣の娘であった寧々は、卑賎の秀吉とは当時稀なる(?)恋愛結婚とされ、寧々の親は猛反対であったという。その秀吉が天下を取った後、多くの養子や猶子をもった。むろん武家貴族出身の者たちであった。「秀吉は卑賎から身をおこしたせいか、貴い門分でそだった女性に異様なほどのあこがれをもち、それがいまの身分になってもかわらない。」(司馬遼太郎「豊臣家の人々」・中公文庫・p181)・・・・・・なのである。側室の高貴好みについては前に書いた。今度は養子、猶子についてだが、どれもが政略結婚のようだ。
〇(結城)秀康:1574~1607。家康の次男で、母親は家康の側室・於万の方。
〇秀俊(小早川秀秋):1582~1602。
〇秀勝:1569~1592.秀吉の姉の次男=秀次の弟。
〇豪姫:1574~1634.前田利家の四女。宇喜多秀家の正室。
〇菊姫:1578~1584.前田利家の六女。
〇竹林院:?~1649。大谷吉継の娘。1594年頃、秀吉の上意によって真田信繁(幸村)の正室となる。(幸村は真田家の人質として秀吉のもとにいた)。
〇江:1573~1626。浅井長政とお市の方(信長の妹)との三女。はじめ佐治一成、次いで秀勝、三度目が徳川秀忠の正室。
〇小姫:1585~1591。織田信雄(信長の次男)の長女。徳川秀忠の正室(秀忠12歳、小姫が6歳で婚儀)。
〇糸姫:1571~1645。蜂須賀正勝の娘。黒田長政の正室。
〇八条宮智仁(としひと)親王:1579~1629。正親町天皇の孫。
〇近衛前子:1575~1630。後陽成天皇女御。
つづく。3月3日。