●螢の灯
▼螢の飛翔はゆらりゆらりと脱俗的でいくら見ていても飽きることがありませんね。わたしどもが生まれた頃には田植え前の時季となればどこでも螢が飛び交ってました。晩飯時には家の中まで入ってきて茶碗の飯に載りそうな、歩いていると口の中に飛び込みそうな、少し大袈裟ですがそんな勢いでした。
金之助「主人先生は、5月の30日の午後、昼までの診療で実家の螢を観賞されたそうですが、どうでしたかにゃん?」
主人先生「そうじゃな、11名のスタッフ・家族が3台の車に便乗してな、2時間超のドライブじゃった。3時過ぎからのバーベキューじゃからな、かなり酔いが回った8時前ころから、待ってましたとばかり、ほろりほろりと螢が出現したのじゃ。30分もすると数百匹(推定で500)かそれ以上かに増えたな。そして9時過ぎに帰路に就いたのじゃ」
金之助「螢という生物の空中を舞うのは羽があるから解せるのですが、どうして光るのですにゃん?」
主人先生「猫の目も光ると思われているかもしれないが、あれは光が外から入ると網膜のタペタム(反射板)という組織で反射しているのであって、螢のように自ら発光しているのではないな。金之助君よ、どうだい、ぽかりぽかりと宙を舞う螢と戯れてみたいかい」
金之助「生まれてこの方、螢なんて云うのは見たことないから、にゃんとも云えないけれど、少し怖ろし気な気もしないではないにゃん」
主人先生「そうだよな、人間様だって昔は怖がっていたんだな。なんとも奇妙な発光物体が凶事の前触れ(前兆)とされたのじゃろ。その証拠にな、彼の万葉集にもたったの1首しか螢は登場していないのじゃ。あのふぉわふぉあとした仄かな点滅が人魂のようで縁起が悪いとされたのじゃろう。したの長歌がそれなんじゃが、約4500首もある万葉集のなかで唯一の『螢』じゃからな、価値ものじゃ。そしてその内容は先立たれた妻を想う挽歌ときているから、やはり螢は人魂なのじゃ」
この月は 君来まさむと 大船の 思ひ頼みて いつしかと 我が待ち居れば 黄葉の 過ぎてい行くと 玉桙の 使の言へば 螢なす ほのかに聞きて 大地を ほのほと踏みて 立ちて居て ゆくへも知らず 朝霧の 思ひ迷ひて 丈足らず 八尺の嘆き 嘆けども 験をなみと いづくにか 君がまさむと 天雲の 行きのまにまに 射ゆ鹿猪の 行きも死なむと 思へども 道の知らねば ひとり居て 君に恋ふるに 哭のみし泣かゆ(作者未詳)
金之助「そうであったにゃんか。それじゃ主人先生と僕にゃんのどっちが先に逝くかわからにゃんけど、もし僕にゃんが先ならちゃんと金之助の螢を捜してくださいにゃん」
主人先生「そうじゃな、もし吾輩が先なら必ず螢になって現れるから、金之助もスコッチを用意して待っていてくれな。約束じゃぞ」
(つづく) 6月30日。