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「水の味も身にしむ秋となり」・「山頭火」の秋の旬

  この句は漂白の自由律俳人・種田山頭火(1882-1940)が昭和5年(1930年)に宮崎を行脚(托鉢)中、飫肥で詠んだ句である。

  山頭火は山口県佐波郡西佐波令村(現・防府市八王子)の造り酒屋(種田酒造場)の倅(せがれ)として生まれた。小生の相方は防府市の出身であり、小生も新婚時代の3年間を防府市で過ごしたから、「山頭火」には多少の興味がある。

  山頭火は日向市東郷町出身の若山牧水(1885-1928)に似て「旅」と「酒」をこよなく愛した俳人として知られている。山頭火は言わずと知れた大酒のみであったが、酒に纏(まつ)わる句は少なく、水に関する句が多い。 

  山頭火は本当に「酒」と「旅」を好んだのだろうか。山頭火の「其中(ごちゅう)日記」(昭和8年2月18日)に「最初の不幸は母の自殺。第二の不幸は酒癖。第四の不幸は結婚、そして父となった事」とある。不幸の連続で現実からの逃避する術(すべ)として、酒と旅を選択せざるを得なかったのか。

  山頭火も若山牧水も実家はそれぞれ酒屋と医者で裕福であった。持って生まれた才能は天才級であったかもしれないが、私生活はハチャメチャで、現在なら2人とも生き抜くことは困難かもしれない。この2人は坊ちゃまで放蕩息子に他ならなかった。特に山頭火は多くの知人、他人に無心の限りを果たし、多大の迷惑を掛けて逝ってしまった。

  「稔りの秋」、「天高く馬肥ゆる秋」、「食欲の秋」、「芸術の秋」、「読書の秋」、「紅葉の秋」・・・・・など秋に纏わる言葉は多い。作物も稔り、気候も良いことから、何を喰っても、何をしても清々しく気持ちの良い季節だ。

  小生はこの時節、専ら、旨くて安いものはないかと、アンテナを張り巡らす毎日だ。時間があると夜な夜なスーパーや、休みの日は綾町の「ほんもの館」などに通う。

  夜は行き付けの居酒屋で情報を入手し、その場に運良く旬のものがあれば、大将と協議の上料理してもらい喰らう。無ければ仕入れが出来た時に連絡をもらうことにしている。

  これからの2~3か月、美味くて安いものは何だろう。

山太郎蟹はモクズ(藻屑)蟹の一種で山から海に下る途中の川で捕獲される。上海ガ二(中国モクズガ二)とは同属異種の関係にある。塩茹でか味噌煮で食すが、甲羅と大きめの脚以外は残らずイケル。蟹みそ(肝臓と膵臓)と雌の卵は特に絶品だ。
  
  甲羅以外の全部を擂(す)り鉢で擂りつぶして細かに砕き、布巾で濾し得た濾液(「山太郎エキス」とでも言おう)に味噌を加えて出来るのが「かにまき汁」だ。山太郎エキスが味噌に絡まれて巻かれるからこの名が付けられたのだろう。不思議なことに汁は澄ましで、フワリとした「かにまき」の食感と、鼻を擽(くすぐ)る仄(ほの)かな蟹みその香がタマラナイ。1杯(匹)何十円の素材と誰が想像できようか。料理人冥利に尽きるだろう。シテヤッタリの料理に違いない。

  むかごの塩茹でも美味い。粘々(ねばねば)成分のムチンの歯応えが、血液をサラサラにさせてくれそうでウレシイ。皮も一緒に頂かないと損をした気分だ。食い物は動物、植物を問わず皮と実の間に旨みが宿されているから摩訶(まか)不思議だ。

  天然の自然薯で作った「とろろ汁」も見逃せない。単に擂(す)って食うのではなく、擂った自然薯に出汁(だし)を少量づつチョロリチョロリと入れながら、擂り粉木(こぎ)で擂り混ぜる。小1時間はこの仕事をしないと本当に旨い「とろろ汁」には在り付けない。

  小生は小・中学生の頃、23年程前に他界した祖母にこの「とろろ汁」作りを手伝わされた。擂り鉢が倒(こ)けないように両手で擂り鉢の縁を持たされた。田舎では自然薯のことを「山芋」と言うが、休みには里山の急斜面で時に掘らされた。

  径が50cmもある擂り鉢が、正月や盆になると、「擂り鉢回(めぐ)し」という、賭けゲームの道具と化した。小銭(10円玉)を擂り鉢の内面に沿って螺旋状に転がし底にある小銭に重なったら、重なった分だけ自分の取り分になる。祖母は小柄の割に焼酎が強く、三味線と歌が上手で、賭け事も好きな、ちょっと小粋で「がばい」婆ーちゃんであった。

  銀杏も欠かせない食材だ。殻付きのまま炒(い)って塩を塗(まぶ)すか、殻を割り少量の塩を付けて頂く。実(み)に少し皮が残るとこれが咽喉(のど)を刺激して咽喉痒(がゆ)くタマラナイ。天ぷら油で軽く素揚げても、ムッチリかつホックリとしていて歯に絡むのが良い。

  土瓶蒸しはキッチリの翠(みどり)の銀杏が入ってないといけない。松茸は国産など望まない。薫り高く十二分にシコリ感のあるカナダ産で結構、コケコッコーと嬉しい。今年から日本の松茸に遺伝子が99%同じ北欧産の輸入物が出現したとのことだが、小生の胃袋まではまだ距離がある。その他土瓶蒸しのタネとしては、できれば鱧、サイマキ(5cmくらいの車海老)、それに三つ葉があれば至極に申し分ない。

  芋(さといも)の子も美味い。皮付きで小指~親指の頭くらいの大きさの「芋の子」を蒸したものか、塩茹でしたものを頂く。皮は先の方を手で半分位剥(む)いて、塩か醤油をチョビリと付け、口唇へと運ぶ。残りの皮の部分を口唇で噛むと、上手い具合に中身だけゲット(Get)できる。これも銀杏と同じで少しの皮やヒゲが残っているとニガミ(苦味)とエグミ(えがらっぽい)が味わえて、焼酎がすすむ。小芋に限らず、芽赤芋の味噌汁に焼いた青唐辛子(鷹の爪)、刺身のあしらい(つま=妻=夫)や味噌汁の具としての芋茎(ずいき)、おでんネタの芋も良い。

  若い大根葉の漬物に新生姜の針ショウガを塗(まぶ)し、カボスを多めに絞って飯を喰らう。冷飯の茶漬けの「とも=友=共」にも最高だ。

  最近、「焼・佐土原秋茄子」を好んで頂く。繊維がはっきりとしていて形が崩れず、都会的な上品な旨みが、従来品を凌ぐ。嫁さんに食わせて、点数を稼ぐべし。脳ミソや身体も冷えて好かろう。

  思い付きのまま、小生の好物を並べてみた。

  山頭火は宮崎が気に入っていたのだろうか。単に山口から遠く離れていたからだろうか。「分けいっても分けいっても青い山」は山頭火が当時熊本(1916年、妻子と共に移住)から高千穂を訪れた時(1926=大正15年6月)の句だ。山頭火の代表句が宮崎で詠まれたのが嬉しい。

  山頭火が宿の評価やその土地の水の味を点数で記録していたことは有名な話だ。その山頭火が「水の味も身にしむ秋となり」の句を宮崎で詠んでくれたことに感謝・感激である。

  水も秋が旬だ。料理も使う水が重要である。酒も焼酎も、米作も全て水で決まる。田舎に帰って食う漬物と自家産米の飯は頗(すこぶ)る旨い。田舎の物を宮崎に持ち帰って宮崎の水で調理しても、その味はしない。

  「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり」は牧水の句だ。酒を「お茶」と称した牧水も、酒に旬を慮(おもんぱか)ったのか。

  放蕩息子も本当は酒に飲まれてはいなかったのだ。

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