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猫の慢性腎不全はなぜに多い?-死亡診断書の行方-

 猫の死因として慢性腎不全が多いのに疑念を抱く獣医師はいないであろう。
 人が死んだ場合には役所に「死亡診断書」(死体検案書)を提出する必要がある。その診断書書式の「死亡の原因」の項目には(ア)直接死因、(イ)(ァ)の原因、(ウ)(ィ)の原因、(エ)(ゥ)の原因とある。例えば(ア)心筋梗塞、(イ)動脈硬化症と記入することになる。必ずしもア~エを全部埋め尽くさなくてよさそうである。
 では動物の例を挙げてみよう。犬に多い僧帽弁閉鎖不全症の場合には(ア)急性肺水腫、(イ)腱索断裂、(ウ)慢性心不全、(エ)僧帽弁閉鎖不全、猫の乳癌では(ア)呼吸不全、(イ)胸水、(ウ)転移性癌性胸膜炎、(エ)乳癌(悪性乳腺腫瘍)とでもなるのであろうか。
 本題の、猫が「慢性腎不全」で死亡した場合にはどうなるのであろうか。(ア)慢性腎不全、(イ) ? ・・・・・。可能性があるのは、例えば(イ)慢性糸球体腎炎、(ウ)猫エイズウイルス感染症、(エ)喧嘩、ではどうだろう。説得力があるねェ~。猫の慢性腎不全では尿毒症から乏尿・無尿・高カリウム血症・不整脈等に陥り、死の転帰をとるが、(イ)が浮かんでこないのが現実である。腎不全へと進展した原因が不明なのである。動物の腎臓病は、多分に研究の稚拙さから、病態の解明が進んでいない点もいがめない。人の腎不全は免疫(自己免疫性疾患、腎臓の糸球体基底膜への免疫複合体の沈着)が関与している場合が多いことは判明している。が、抗体形成の原因抗原など、そのメカニズムは現代医学でもブラックボックスの中にある。
 
 当院の小川獣医師が連載中の「ペット豆知識」。今回のテーマは「猫の慢性腎不全」である。今回このタイトルを選んだ理由は日常の診療でこの疾患に多く遭遇するからであろう、と察する。多くの獣医師が疑問に思ってきたように、彼も「なぜ猫には慢性腎不全が多いのか」、悩んでいるようである。そこで先輩獣医師として、「答えにならぬ応え」を進ぜよう。
 ①まず組織・解剖学的見地から、人のネフロン(腎単位=尿生成の最小単位=糸球体と尿細管から成る)の数は一つの腎臓(片腎)で100万、犬では同じく40万と言われている。猫では同じく一つの腎臓で20万と言われている。これを根拠に体重当りのネフロン数が犬に比べて少なく、腎臓への負担が掛かりやすいから、腎不全に陥りやすいという。しかし、この計算は中型犬や大型犬では当てはまらないどころか、人では逆転する。
 ②人の腎疾患の原因はネフローゼをはじめIgA腎症やIgG腎症、IgM腎症などの免疫疾患が主である。猫のエイズや猫白血病、犬のフィラリア症では免疫関連性、すなわち免疫複合体の腎組織への沈着を指摘した研究業績が存在する。しかし、実際の腎不全猫ではこれらのウイルスが関与していないケースの方が多い。犬のフィラリア症ではミクロフィラリアによる糸球体の破壊を覗わせる所見はあるが、逆にこれが腎臓の濾過量(糸球体濾過量)を増やすこともある。研究の進展が「死亡診断書」の(イ)欄を学術・医用用語で埋められるよう期待するしかない。
 ③小生が以前から、そして依然として「感覚的」に信奉していることがある。猫の尿は濃く、実際に尿比重を測ると犬より高い(正常値の下限が猫の方が高い)。水制限試験でも犬以上に尿を濃縮できる。これは単一ネフロンの機能が犬よりも高く、その分負担が掛かっていることを示している可能性がある。かつ、猫はエジプトのリビア高原という砂漠が原産であり、水の少ない地帯で誕生したためか、犬に比べ体重当りの飲水量が少なくて済むような遺伝子設計になっているのであろう。また、猫は犬や人に比べて、体重当りの蛋白必要量が高い(猫は3~3.5g/kg/日、犬が2~2.5g/kg/日)。蛋白(アミノ酸)は腎動脈(糸球体の輸入細動脈)を拡張して腎血流量を増大させ、腎への負担を増す。このほか猫の塩分摂取量は犬よりも多く、これも血液(循環血液)量を増やしたり、血圧を上昇させて(レニンやアンジオテンシンなどのホルモンが関与)、腎臓に対して負に働く。

 小生は1990年から1年間、米ジョージア大学の獣医腎臓病学の世界的権威Dr.Fincoの下で腎臓病を研究した。渡米して最初の仕事が犬のGFR(糸球体濾過量)の日々変動であった。当時の成書には「人のGFRは日による相違はないが、犬では毎日変動する。」とデータ付で書かれてあった。3頭の犬で代謝ケージを使いFinco共々、1週間完全採尿して尿中クレアチニンを測定した(犬の全尿を採取するのは結構難しい)。結果は「ほぼ一定で、変動しない。」であった。成書には、今、何と記載されてあるのだろうか。GFRやRBF(腎血流量)も放射性同位元素(アイソトープ)を使って、いやと言うほどやった。成果はAm.J.Vet.Res.にある。帰国後は、Fincoから学んで実際にも執刀した腎不全モデルを作成しての実験や、腎動脈に電磁血流計のプローグを埋め込んだ後さまざまな条件下で血流量を計測した。腎臓のバイオプシー(生検)も行い、GFRとの相関も見た(いずれも日本獣医学会で発表)。17、18年前のことで、手前味噌だが、当時、本邦で腎臓を最も理解している臨床家と内心自負していた。来世は逆に実験される側にまわっているかもしれないが、する側で生まれたら腎臓を極めたいものだ。

 先日、ノーベル物理学賞を受賞された日本人3人のうちのひとかたが、「知識よりも想像することが大切です。」と言われていたと記憶している。想像して実験すると想像を超える知識が生まれる。大学を去った者が言うことでもなかろうが、若手獣医師兼研究者の発憤と奮闘努力、研鑽をお願いする。

 小生のそのうちに来る「死亡診断書」を推測してみた。(ア)食道静脈瘤破裂、(イ)肝硬変、(ウ)アルコール性脂肪肝、(エ)「ニシタチ居酒屋放浪癖」。

(後半は専門的で獣医師以外の方には、難解な綴りとなりました。申し訳ありません)

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