卑弥呼(3世紀半ばの邪馬台国の女王)も聖徳太子(574-622)も倭人。遣唐使が中国に行った折、日本という国名を使用したのが702年のことという。702年は大宝律令が制定された翌年。「日本国」はそれ以前に決まっていたことになる。現在の学説では、浄御原令(きよみはらりょう)という法令が施行された689年が有力という。浄御原令は天武天皇(~686)が編纂を開始、その死後皇后の持統(=持統天皇・645-702)が施行したもの。
では天皇という称号はどうか。天子と天皇という文字は607年に現れるが、正式に「天皇」と決定されたのは上記の浄御原令が通説という。出典参考:網野善彦「歴史を考えるヒント」pp9-39(新潮文庫)